I 米国人気質は日本人気質と同じ
1970年代のことであるが、私は米国の国立研究機関に勤務していた。ここでは、100km先の山の上にある針穴に糸を通すような、気が遠くなるような仕事であるが、いろいろの仕事がある。 大きいパラボラアンテナのような椀に均一に金メッキしているグループ数名と話をしていた。ある人が「日本は永久雇用でいいなぁ」と言った。一般に、アメリカには、永久雇用制がない。気の毒である。
ところが1990年ごろからだろうか、日本の雇用状態が変化した。「仕事が面白くない」という人が多くなった。工場生産された板のようなものをバンバン張っている人が言った。「仕事がさっぱり面白くない」と。この種の仕事につく人は少なくなった。 この変わり方に驚いている。
II 米国人気質は日本人気質と同じ ある年の夏である。いよいよ大学は夏休みが始まった。たまたま、某教授の部屋へ行ったら秘書がいた。20代の女性である。その人が言った。 「私は夏休みが大嫌いなんです」と。「どうして」と聞いた。 「夏休みには、秘書はほとんど仕事がないんです。それなのに給料は同じようにもらうのです。ろくな仕事をしないで、給料をもらうことが、とてもいやなんです」と。 私は「なるほど」と思った。
III 米国人気質は日本人気質と同じ ここの「日本人気質」は「戦後の農村の気質」のことです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
米国でも、私は高齢のお婆さんと交流した。クリスマスイブの日、お婆さんの友人が集まった。まだ、若い女性が「私は、来年、結婚できるかしら」と言った。米国人女性の結婚願望は強い。少子化という言葉は聞いたことがない。 これには私も困った。仕方ないから、「手相を見せて」と言った。「うーん。もしかすると今年、出会いの機会があるぞ」といった。相手は喜んだ。
戦後の農村では集落内の結婚がほとんどだった。結婚相手を見つける場合、まず、その人の生まれた時からの性格や父親が分かっている。女性も男性も結婚年齢は20歳くらいだった。20代で子供二人を産んだ。中には、12人という人もいたが、最高に多い。こいう奥さんがなくなると、主人が嘆き、お墓のお骨を盗み、自分の枕元に飾る主人もいた。これは、刑法に触れるらしい。
昭和40年ころから、様子が変わり、結婚前の素性や父親を知らない結婚が多くなった。私が帰省して、心を痛めるのは、こうした結婚が破局になり悲劇となっている人を見るときである。それだけならまだいいが、困ったのは「自殺」である。
私はface bookを信用していないが、若い未婚女性が沢山、写真を出している。中にはヘソを出している人もいるが、しょうがないものだ。「いよいよ日本は気が狂ってきた」と思うことあり。
ザ・戊辰研マガジンの感想など
このマガジンにはいろいろのことが書いてあり、外国人にも受けると思います。 この種のマガジンは日本でも初めてでは。各記事の前に簡単な英文要約があると、外国人の目を引くと思います。
私は故郷の絹文化を調べてきています。絹布織とか絵柄も含まれます。 予期せぬことですが、外国女性からの要望で、いま、女性用スカーフの調査研究を始めました。明治維新から戦後まで、日本の養蚕は世界一でしたが、絹は女性用のストッキングに使用されました。
このように考えると、男性によるスカーフの研究は不思議ではないように思います。
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