土津神社は、会津藩祖・保科正之公を祀った神社です。保科正之公が寛文12(1672)年12月に亡くなると、遺言通りに猪苗代町の磐梯町の中腹に神社が造営されました。古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったそうです。しかし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまいました。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っております。土津神社は、紅葉の美しさで有名で。紅葉の葉で埋め尽くされた境内は赤い絨毯を引いたような美しさでした。
【紅葉の土津神社】
保科正之公は、徳川2代将軍秀忠の子として生まれ、会津藩主として数々の功績を挙げました。また、神道を学び「土津」の称号を受け、その名を付けたといわれています。 保科正之公が定めた「会津家訓十五箇条」は、会津藩は最後まで家訓と共に守り抜いたのです。
【家訓十五条】
土津神社境内にある亀石に載った石碑は日本最大のもので高さ7.3m、重量30tもあります。
【亀石】
私は初めて土津神社を訪れた際、驚いたのは「秩父宮様」「高松宮様」「有栖川宮様」皇族の方々が植樹をなさっていることです。それに内閣総理大臣現役の時に小泉純一郎氏も植樹されております。
皇族の皆様の植樹は、会津藩の賊軍の汚名を晴らせた証であると清々しく感じることができました。
そして、土津神社の東側にある参道を登ると「奥の院」と呼ばれる保科正之公墳墓があります。まさに静寂の中に神聖な雰囲気は素晴らしいの一言です。
会津藩の祖である保科正之公が祀られている土津神社は、会津藩の威厳と栄華に触れることができました。まさに『素晴らしい!』の一語です。私は「土津神社」にすっかり魅せられました。
【記者 鹿目 哲生】
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