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ザ・戊辰研マガジン

2019年11月号 vol.25

星亮一先生の「花ホテル」講演会

2019年11月06日 09:47 by date
2019年11月06日 09:47 by date

 10月26日(土)の事である。
福島県の奥会津といわれる柳津町の小さなホテルで開かれた講演会に参加してきた。仏都会津といわれる柳津町は「圓藏寺」というお寺の門前町である、その門前町は柳津温泉とも言われるが、その一角に建つのが「花ホテル、滝のや」である。
 「花ホテル、滝のや」の前景
 建物玄関右には本日の講演会の案内板が見える、今回は戊辰戦争研究会の主宰者・星亮一先生の講演会である。
「花ホテル、滝のや」は館内で講演会場を持ち、音響設備、映像設備が充実しておりその講演会の模様は、ネット配信で全国のみならず全世界で聴取が可能である(ただし日本語放映である)。
 花ホテルの講演会は「小さな宿の勉強会」と銘打っており、講師は全国から来訪しており、その講演内容は神羅万象に至るのもがある。つまり近所のおばさんおじさんから始まり、大学教授やら作家やら歌手、俳優さんなどとにかく多岐多彩の方々が講演し、そこには近郷近在の方をはじめ首都圏や日本中から聴講者が集まるというものである。
 ちなみに今回の星亮一先生の講演会には、九州・福岡や関東地方など、地元の方でも車で数時間をかけてやってきています。
本当に現代の寺子屋と言っても過言ではなく、意識の高い人たちの集合場所になっています。私も地元の人ならば講演会のたびに訪れたいと思うところです。

右側に座るのが星亮一先生で、
                         
左側で説明している方は読売新聞の編集委員です。

 今回の星亮一先生の講演会の演目は「会津戦争始末記~主席家老梶原平馬、蝦夷地に消ゆ」として、松平容保が孝明天皇から賜ったご宸翰こそが会津藩は朝廷からの信頼が厚く、決して賊軍ではないという証左であった、このことを戊辰戦争前に表に出していれば戦争の行方を左右してはずだが、松平容保は孝明天皇とのお互いの信頼を利用せずに会津藩の義を通そうとしていたのではないか。
 明治期に入ってからのご宸翰の存在が明治天皇の目に触れることにより、朝廷からの会津藩への扱いは大きく変わっていった。大正天皇の長州嫌いは有名であり、自分の子供はそれぞれ徳川と会津から嫁を迎えている、しかしながら令和の時代に入っても会津東北の賊軍の呼称は消えることなく通説となっている。いずれ通説は俗説となり消えて行ってしまうことを願うものである。
 また会津藩の筆頭家老梶原平馬の行方であるが、戊辰戦争以後に斗南に移住し青森県に勤めるが短期間で出奔し、北海道の東の果てで教育者としてつつましく生涯を過ごした。この生き方も「義に死すとも不義には生きず」の会津武士の魂であったろう、不義だからこそ身分を隠し辺境の地で生きてきた、そのことが分かったのは昭和63年であるという。ここにも一つ壮絶な会津藩の武士の魂をみた。

懇親会の会場風景、約20名ほどが出席しました。

 星亮一先生の講演会には星先生の知人3名の方が遠くからいらっしゃいました、読売新聞の編集委員のかた、今般「「会津藩燃ゆ」を出版した「ぱるす出版」の社長さん、福岡からいらっしゃった政治結社「玄洋社」の会長さん。以上のお客様からご挨拶をいただきました。私としては福岡からいらっしゃいました「玄洋社」の会長さんには緊張が走りました、「玄洋社」というと日本国の政治に深くかかわった団体です、まさか会津で玄洋社の方の話を聞けるとは思いませんでした。
 でも今回の事は私にとっては大変うれしいことで、「玄洋社」の会長さんと同席したなんて名誉なことです。
不肖わたしも戊辰戦争研究会の代表として会場で挨拶させていただきました。

さてそんな講演会が終わったらいよいよ懇親会です、写真にあるように懇親会まで残った20名くらいの参加者で始まります。懇親会には「花ホテル」特製のオードブル(日本名、つまみ)が所狭しと並びます。もちろん会津の特産品も並びます、うれしいですね、ここで勉強できて多くの人のお話が聞けてついには宴会に参加できるなんて。
懇親会の会場に並んだのは会津の日本酒「會州一」です。

もう一つ「会津娘」が並びます。

 今回の懇親会には会津の銘酒「會州一」と「会津娘」が並びます、しかも一升瓶ごとです。もちろん栓は空いていません、1,8リットルそのままです、しかも冷えています。
当然だと思いますが会津に来て会津のお酒が呑めるなんて・・・当たり前ですね。このことが楽しみで柳津まで来たのではありません。
 懇親会ではお互いに名刺が飛び交います、名刺を拝見しますと皆さんこぞって地元で頑張っている方です。ここで会津の地力を見たような思いです。
この懇親会で呑んでいますと、私自身が会津人になったような気にもなります。もっとも会津と言っても奥会津と言われていますので、ここは一線を画したいと思います。

私の取り皿には「かぼちゃのマカロニ和え」が載ります

 今回の懇親会の宴会セットです、とりあえずアサヒビールで乾杯しますが、私の取り皿には「かぼちゃのマカロニ和え」だけが載ります。今回のこのかぼちゃ料理のおいしいことおいしいこと、まるでほっぺが落ちそうです、かぼちゃは自分の人生で長い間食べてきましたがこんなにおいしいかぼちゃは初めてです。本当においしいのです。
 ですから他の料理には目もくれずにひたすらかぼちゃを食べてビールを飲みました、もちろんかぼちゃで日本酒も飲みます。
かぼちゃは繊維質の野菜で料理上油分は使いません、なんと健康的な食べ物なんでしょう。私の周囲の料理のかぼちゃは私が食べてしまいました、ですから隣の料理まで手を伸ばして食べてしまいました。ちょっと卑しい食べ方ですが結果的には他のかぼちゃ料理は残っていましたからよかったのではないでしょうか。
 私がかぼちゃ料理を平らげたことに感謝していただきたいと思います。

 そんなことで楽しく懇親会が進んでいきます、私の日常生活では9時就寝が常です、ですから午後11時にはそっと会場を抜け出して自室に戻りました。
翌日に聞きましたら午前1時まで呑んでいたそうです。それほど楽しかったのでしょう、久しぶりに若返ったような時間を過ごしました。

記者:伊藤 剛

 

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