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ザ・戊辰研マガジン

2021年12月号 vol.50

会津身不知柿を宮家に献上へ

2021年11月28日 11:16 by tetsuo-kanome
2021年11月28日 11:16 by tetsuo-kanome

 皆様は、会津身不知(みしらず)柿をご存知ですか。天皇皇后両陛下や宮家に献上する会津身不知柿の箱詰め作業が11/24、福島県会津若松市門田町の北御山集会所で行われました。11/25に宮内庁に届けられました。箱詰めしたのは北御山生柿生産出荷組合の農家9軒が栽培して収穫し、焼酎で渋抜きした270個。会津木綿のエプロンを着用した県会津地方振興局の職員6人が、さらしで丁寧に磨き上げ和紙に包んだ後、6箱に分けて収めました。9、10月の日中の気温が高く、例年と比べ1週間ほど収穫時期が遅れたが、品質に影響はないといいます。大竹寛組合長は「今年も特有のとろみや甘さのある仕上がりとなった」と話しておりました。献上は幕末の会津藩主松平容保の孫勢津子さまが1928(昭和3)年に昭和天皇の弟秩父宮雍仁(やすひと)親王と結婚したのを祝って始まりました。戦時中に中断したが戦後に再開され、毎年続いております。「身不知柿」の名前の由来は、3つほど説があります。1つ目の説は、枝が折れそうなほどにたくさんの大粒の実をつけること(身の程知らずな柿)であるため。2つ目の説は、この柿を将軍に献上したところ、「未だかかる美味しい柿を知らず(これほど美味しい柿は初めて食べた)」と大いに賞賛されたから。3つ目の説は、あまりに美味しいので我が身も考えずに食べすぎてしまう柿だから。どの説も、「身不知柿」のあまりの美味しさから生まれたようです。

 私は、このニュースを聞いて思わず「会津身不知柿」が食べたくなりました。もちろん、私は何度も食べたことがあり、完熟のものはまるでマンゴーのような甘さで口の中でとろける美味しさです。皆様もぜひ「会津身不知柿」をご堪能あれ。

【記者 鹿目 哲生】 

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