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ザ・戊辰研マガジン

2021年12月号 vol.50

江戸の坂道(麻布)

2021年12月05日 22:08 by norippe
2021年12月05日 22:08 by norippe


 東京都港区は武蔵野台地の縁に位置し、100を超える坂がある。そしてこれらの坂の名には歴史的背景がある。
 麻布は、港区を形成する5地区のうちの1つで、旧麻布区とほぼ重なる。東麻布、麻布狸穴町、麻布永坂町、麻布十番、南麻布、元麻布、西麻布、麻布台、六本木が置かれている。


港区麻布


鳥居家の屋敷に由来する鳥居坂

 麻布十番の西にある鳥居坂は、江戸時代中頃までこの坂の東に鳥居彦右衛門元忠の屋敷があったことに由来する。鳥居家は紀伊の熊野権現の神職の家柄で、江戸時代には矢作藩(現在の千葉県香取市)、磐城平藩(現在の福島県いわき市)、山形藩、高遠藩(現在の長野県伊那市)などを治めた。
 鳥居坂周辺には、港区麻布地区総合支所や東洋英和女学院があり、江戸から明治・大正・昭和にかけての歴史文化に深く関わる人びとの屋敷や施設が置かれ、近代の日本において極めて特筆すべき地区である。
 江戸時代、大名や武家屋敷が並ぶ一方、坂下には町人の家が並ぶような地形的配置となっていた。かつて大名屋敷であった広大な土地が、明治維新後、財閥等に払い下げとなり、三井、三菱、住友の三財閥の関係者が顔をそろえることとなった。同じく、三條邸をはじめとする公家や、李王家、久邇宮家などの宮家といった華族邸が並んだ。富裕層の人々により、著名建築家・設計者の手による貴重な屋敷や建物が建てられたのである。
 アイドルグループの「欅坂46」の改名前の名前は「鳥居坂46」であった。しかし港区だけで100以上の坂があるので、それを考えると100以上のアイドルグループが港区だけで出来ることになる。


仙台藩下屋敷に隣接していた仙台坂

 麻布十番の南に位置し、麻布の台地を東西に延びる仙台坂は、この坂から南側一帯が仙台藩伊達氏の下屋敷であったことに由来している。店舗や木造住宅に替わって高級マンションなどが増えたこの仙台坂界隈であるが、その中に特筆すべき理髪店が麻布山善福寺の入口角にあるのだ。


タウンゼン・ハリスの髭を剃った理容店の麻布I.B.KAN

 創業は西暦1818年(文政元年)の理髪店。幕末の激動期、地域との交流は極めて限られていたが、なんとアメリカの初代駐日公使、タウンゼント・ハリスの髭を剃ったという理容店が今も同じ地で健在に営業しているのだ。ハリスは麻布山善福寺を「公使館」として使用していた。
 現在の店名は「麻布I.B.KAN」であるが、その当時の屋号は「蔦屋」という老舗であった。この理髪店には、3代目と4代目がハリスの髪を切ったという記録も残っている、歴史ある理容室で、現存する理髪店の中では日本最古の理髪店なのである。


南部坂

 険しい坂道の南部坂は難歩坂とも呼ばれた。仙台坂の西の南部坂も南部家中屋敷があったことにちなんでいる。現在の「有栖川宮記念公園」が南部家中屋敷の跡地だ。この坂は険しいため難歩坂と表記されることもあったという。坂上にはドイツ連邦共和国大使館が、坂下には南部坂教会と南部坂幼稚園がある。ここは麻布の南部坂で、赤坂にも忠臣蔵で有名な南部坂がある。


赤坂にある南部坂

 南部家中屋敷は明暦2年(1656年)、赤穂藩浅野家との間で屋敷の取り替えが行われた。この際に南部家は現在の南麻布、有栖川宮記念公園のある場所へと移動、移動先でも「南部坂」が生まれたために同名の坂が2ヶ所存在することとなったのである。


永坂

 また、麻布十番から北へ向かう永坂はその名の通り、長い坂であったことが由来とされているが、長坂氏の屋敷があったためという説もある。現代に残るお屋敷街、麻布の中でも別格と言われるエリアで高級な住宅が立ち並び、緑あふれる場所である。


鼠坂

 永坂の東、鼠坂はかつて道幅が狭く、ネズミしか通れないような細さであったことから名付けられた。この坂は、島崎藤村の短編小説『嵐』の舞台の一つとなっている。この狭い鼠坂も昭和50年代に拡幅工事が行われて狭さは解消されている。坂のうち頂上に近い部分は、「植木坂」「鼬坂(いたちざか)」とも呼ばれた。


狸穴坂

 鼠坂の近くにある狸穴坂(まみあなざか)。この標識によると昔この坂の下にアナグマかムササビか、とにかくそのような獣の棲む穴が坂の下にあったので、坂には狸穴坂、町名が狸穴になったようである。この地が緑に恵まれていた面影を感じられる。この坂は港区内でも屈指の急坂として知られている。自動車では下りの一方通行なので気にならないが、自転車で坂を登ると港区内にこんな急坂があるのかとこぼしたくなるほどである。狸穴坂は東麻布と麻布台あるいは六本木間の近道にもなっているので昼も夜もタクシーがかなり通る。


芋洗坂


饂飩坂

 狸穴坂から西、六本木方面に向かうと芋洗坂だ。この坂の名は近くにあった稲荷で市が開かれ、芋が売られていたことに由来すると言われている。芋洗坂に合流する饂飩坂は、うどんを商う店があったためとされており、古くから商業が盛んに行われていたことが伺える。

 港区内にはまだまだ多くの坂が存在するが、坂の名前でその坂がどんな坂なのかが大体は想像がつく。建物や風景が変わっても、坂の名前で昔の街の姿が想像できる楽しさがある。坂は昔と今の架け渡しの道である。

 

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