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青天を衝け24回  いろいろ感想

2021年11月24日 16:34 by katsukaisyu
2021年11月24日 16:34 by katsukaisyu

 パリでの御一新

 先に帰国した英一の友人、杉本愛蔵が血洗島の渋沢宅に英一のフォトグラフと手紙を持参していましたが、写真を見た妻千代は、あんなに嫌っていた異人と同じ姿になったと大ブーイング。しっかり、返事にもそのことを書き記していました。時代の変化に対応するのは、急には難しいです。英一のように、周りが全てその状態なら、変身にも納得できるでしょうが。

 慶応4年(1868)が始まりましたが、日本にとっては大変革の年になりました。パリ滞在中の民部公子(慶喜の弟、徳川昭武)ご一行は、皆、断髪洋装になり、一足早く、文明開化の波に洗われていました。そこへ、大政奉還の一報が届き、驚愕の一行でした。彼らにしても、突然の窮地です。今まで、幕末物で京都の政変を数多く見てきましたが、それを外国からの視点で視聴者が見るのは、初めての試みです。パリに居ながら、自分たちが立つ基盤が崩れ去り、不安も高まるでしょうが、遅れた日本を近代化せねばならない彼らこそが、260年続いた旧弊の改革が急務だと感じていたのではないでしょうか。幕末期、佐幕・勤王問わず、欧米を見てきた面々たちが、その後の日本を変えていくことになります。

 パリの風景と、英一たちのドラマ部分とのCGでの融合、違和感なく、見事でした。コロナ禍でパリでのロケはできないので、画面がどうなるか心配していましたが、2020年代の技術の進歩ですね、素晴らしい。見ている側も、パリを舞台にした物語を楽しんでいる気になります。英一は近代経済の一端をパリで現地学習していました。やはり本でいくら勉学しても、百聞に一見に如かずで、実際に見学できたことは貴重です。

 ドラマの展開が早いですが、鳥羽伏見の戦いの敗戦がパリの一行にもたらされました。ナレ死というのを聞いたことがありますが、書状の中で、伏見・淀・橋本・枚方・守口で負けてという、今回のドラマでは書状敗戦報告という新しい展開となりました。慶喜は江戸へ帰還して、恭順・引きこもり状態ですが、弟の民部公子にはパリでの留学を続けるようにとの指示で、英一たちはパリに残る道を模索していました。英一は慶喜の一連の対応に怒っていました。幕臣たちの偽らざる心境でしょう。

 4月、同行していた医師高松凌雲はじめ、一行の内の何人かが日本へ帰国することになりました。英一はパリに残り、民部公子の留学を支えることに。この時間差がその後の状況に与えた影響は大きいです。高松はここで帰国したことで、後に、箱館共和国の病院で院長になり、土方らと共に戦うことになりました。英一も一緒に帰国していたら、渋沢成一郎と共に箱館へ・・となっていたかもしれません。そうなっていたら、箱館共和国の財政の算段はバッチリ、だったかもしれません。

 ヨーロッパ各国に滞在していた留学生たちが、帰国することになり、パリに集結していました。エリートたちは待遇が悪いと文句たらたらですが、そんな彼らに、英一は迫力満点で怒っていました。財布を握っている者は強い!生まれながらの身分格差一辺倒だった社会が、これから変わっていき、英一がそれを体現してくれることと思います。

  新政府の体制が固まり、パリへの民部公子一行へも、今度は新政府からの帰国命令が来ました。帰りたくない英一たちと、帰国を薦める周りの状況ですが、民部公子の兄、水戸藩主が急死し、新政府は民部公子に水戸徳川家を継げとのことで、ついに、帰国することになりました。

 セーヌ河畔を英一と歩く民部公子です。CGですが、よい風景です。英一と公子との心の交流が美しい背景の中で描かれてきました。公子は異国で英一を頼りにしていたのでしょう。今回のドラマ、登場人物たちのこういった心の交流場面が多いように思います。

 英一は帰国準備をしていますが、資本主義の仕組みを教示してくれたフランス人に、フランスの会社の債券を購入して600両を儲けたと、うれしそうに伝えていました。幕末期の日本はインフレで、1両10万円とすると、600両で6000万円ほどでしょうか。通常、膨大な金を使う留学生活で、金儲けをしたのは英一ぐらいでしょう

。この商才は、普通人にはありません(きっぱり)。英一は刀を振るうわけではありませんが、面目躍如の大活躍をパリで静かにやっていました。資本主義(英一は合本主義と記していますが)の仕組みを、身をもって理解し、そこに夢を描いた英一でした。滅びゆく体制の中で、未来への夢をみつけましたね。  書状敗戦報告だった今ドラマでの鳥羽伏見の戦いでしたが、いくつか、史跡を紹介しましょう。

  写真は伏見の町奉行所跡です。明治中頃に、鉄道敷設による水運の衰退で、伏見港がすたれ、伏見の町は京都市に併合されました(現在は京都市伏見区)。

 それまでは、伏見は京都とは全く違う町でした。そこで、伏見に町奉行所があり、西国大名が京都へ入ることを嫌った幕府の政策により、伏見に各藩の藩邸が建てられることになりました。

 例えば、江戸へ輿入れするために薩摩から来た篤姫一行は、草津塾の本陣の大福帳に、前泊は伏見と記しています。伏見に泊まって、京都へ散歩する・・ということはあったようですが(法の抜け道です)。

 御香宮です。ここは本殿に葵の紋がついているほど、徳川家のゆかりのある神社ですが、慶応4年1月には、薩摩藩兵が入りました。御香宮は伏見奉行所を望む高台にあり、2004年の大河ドラマ「新選組!」では、土方歳三があそこを取らないと大変なことになると、旧幕軍の上層部に訴えていましたが、当時の上層部はまとまらずで、その後もずるずると負けてしまいました。会津藩と新選組は伏見側でした。

 

  こちらは鳥羽街道側の城南宮です。江戸で幕府側に挑発を仕掛けてまで、戦争に持ち込みたいやる気満々の薩摩軍、この道に大砲を並べて、京へ向かうために小枝橋を渡ろうとした旧幕府軍に大砲をぶち込んで、旧幕府軍は大混乱となりました。

 

  名前は小枝橋ですが、実は結構大きい橋です。橋詰めには石碑や銘板が設置されています。鳥羽側を進んだのは、旧幕府軍の本隊です。京都見廻組はこちらでしたが、伏見より、鳥羽の方が壊滅状態だったように思います。

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