ペリー提督は翌七年一月十六日(2月13日)、再び来航し「開国」の回答を迫ったのである。老中阿部正弘は、ついに「受諾」の決意を市し、三月三日(3月31日)「横浜」で「日米和親条約」を締結した。
(1)漂流民を助ける (2)航行に必要な食糧・薪・水等々の便宜を図る などの内容であった。
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しかし、この条約により、諸外国の艦船が回航してくるようになる。 〈会津藩、品川沖「第二台場」を警備する〉
日米和親条約 横浜開港資料 日米和親条約締結の地
日米和親条約締結の地 日米和親条約締結の地 日米和親条約締結の地 神奈川奉行所 日米和親条約締結の地
〈ペリー来航関連資料〉 日米和親条約締結の地 会津戊辰戦争(壱-一)
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