東京にはいくつかの汐見坂(潮見坂)がある。汐見とは海が見えるということなのだが、どの汐見坂からも海を見ることは出来ない。
江戸時代は小高い丘に上がれば海が見えた。埋め立てて造られた東京の街並み。江戸時代に日比谷は海だったという。江戸城の間近まで東京湾の潮が迫っていたのだ。なので汐見坂という場所は、そこから海を見ることが出来た場所なのである。
また富士見坂という坂が多いのも、昔はそこから富士山を見ることが出来た場所なのだろう。今はビルが並び地形も変わって見ることが出来ない。
港区三田の潮見坂
三田台地の先端にあった汐見坂について、荷風は随筆「日和下駄」の中で次のように描いている。
「芝伊皿子台上の汐見坂も同じく道路の改正に会つたけれど、天然の地形と距離との宜しきが為に品川の御台場依然として昔の名所絵に見る通り道行く人の鼻先に浮べる有様、之に因って此在見れば古来江戸名所に数へらる、地点悉く名ばかりの名所でない事を讃するに足りる」
名ばかりの名所ではないと讃した伊皿子台上(三田台地上)の汐見坂も、今はビルで前方を遮られ、芝浦の海もお台場も見ることは出来ない。
そんな中、江戸時代の風情を残した汐見坂がある。皇居の東御苑にある汐見坂だ。もちろん今は皇居の周りはビル群に覆われ、海は遥か遠くだ。
皇居はもと江戸城。この汐見坂は江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂である。
皇居にある汐見坂
白鳥濠
写真は汐見坂門があった場所で、白鳥濠がある。この濠から見た汐見坂は急勾配の坂で、本丸と二の丸の高低さは約10メートルある。江戸城内には結構な起伏があることが分かる。
汐見坂の案内板
この汐見坂から東京湾方向を見ると、都心の高層ビルがそびえ建ち、海は見えない。ビル建設や道路工事で東京は姿形が変わってしまったが、ここ皇居の中は都市開発の影響を受けず、石垣と濠が昔のまま残っている。もちろん汐見坂もそのまま残っているのだ。
江戸時代は日比谷辺りまで入り江だったので、江戸の町は臨海都市であった。そして江戸は山の手という多くの丘があったので、汐見坂が多くあっても不思議ではない。
虎ノ門にある汐見坂
虎ノ門にある汐見坂標識
港区虎ノ門にも汐見坂がある。ここも江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂だ。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、別名、大和坂ともいわれた。汐見坂の坂下には江戸見坂、坂上には霊南坂があり、その坂に挟まれてホテルオークラが建っている。
霞が関にある潮見坂
また、霞が関にも潮見坂がある。坂を登ると右側に外務省、左側には財務省がある。外務省がある場所は、江戸時代には福岡藩黒田邸上屋敷があり、そして財務省の場所には丹後宮津藩上屋敷があった場所である。
霞が関にある潮見坂標識
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