2022年7月28日の二本松少年隊顕彰祭で発表された小中学生の作文を紹介いたします。
二本松少年隊に関する作文・感想文コンクール最優秀作品
(主宰・二本松少年隊顕彰会)
【ニ本松少年隊への思い】
二本松市立油井小学校 六年 佐藤太一
ぽくは、戦争を知りません。両親も祖父母でさえ生まれたのは戦後なので、身近に戦争を直接知る人はいません。だからぽくは、今まで戦争について考えたことはありませんでした。しかし、最近ではウクライナとロシアの戦争をニュースなどで耳にします。兵隊はもちろん、一般市民まで殺されているという話を聞き、戦争とはおそろしいと感じました。社会科で歴史の学習が始まりましたが、外国同士の戦争なら、何となくわかるような気がしますが、日本国内での戦争がたびたびあったことを授業で知りました。中でもここ二本松においても実在したとは驚きました。 ぽくたちの住んでいる二本松には、霞ケ城という紅戸時代から続く歴史のあるお城があります。その中でもぽくは、箕輪門の美しさと天守跡からながめる安達太良山がとてもすきです。その箕輪門の前にある「千人溜」という場所がありますが、そこから百五十年以上前に出陣していった少年隊のことが、今でも語り継がれていることに、何らかの不思議さを感じ、総合学習で調べていきました。少年隊顕彰授業や先生の話をお聞きし、ぼくたちとそんなに年が違わない少年までもが武器を持ち、戦っていったことに大変驚きました。それだけでなく、少年たちは出陣できることを喜びと感じて、「自分たちの住む二本松のために」という気持ちで戦ったというのです。ぽくが同じ立場の少年だったら、そのような行動ができるのか全く分かりません。 きっと、「出陣」と考えただけでこわくて逃げ出してしまいそうになると思います。彼らには、自分の命よりも大切なものがあったのだと深く感じました。それは、自分たちの生まれ育った町、二本松を守ることです。彼らには、自分たちの命をおしまずに、二本松のために戦うという武士の世の中に生まれた覚悟があったのだと感じました。 学習を重ねていくうちに、二本松少年隊の史実をいろいろと知ったぽくたちにできることはないかなと考えるようになりました。それは、同じ二本松に生まれ育った少年たちの意志を受け継ぐことかなと思いました。つまり、自分たちのふるさと、二本松をいつまでも大切にする気持ちを忘れず、二本松を愛することを今の時代に生きているぽくたちなりのやり方で、彼らが守ったように、二本松を守ることなのだと思いを強くしました。
ぽくたちは、今、当たり前のように食べること、着ること、遊ぶこと、学ぶことができています。そして、家族と一緒に楽しく暮らすこともできています。この当たり前の生活に感謝していくことも大切だと思います。戦争体験者が、少なくなっていく中、ぽくたちが戦争について知る方法は、本やテレビ、インターネットなどに限られています。戦争のない世の中にするには、戦争を知らないぼくたちが、戦争の恐ろしさやこわさ、不幸ばかりでよいことは何もないということを 深く考えていくことが必要に思います。「書けば苦しい。書けば、思いがけぬところで、自分自身ならずや、皆を苦しめる。せっかく忘れようとしていた皆の悲しみも掘り出してしまう。」と言ったのは、少年隊の生き残りの水野進さんです。少年隊のことは、戊辰戦争後、負け戦だったため、語り継がれることもなく、歴史の中にうもれようとしていた時に、本当の勇気を見せてくれたように思い ました。さすが、少年隊の一人だったなと深く感動しました。そうです。ぽくが語り継ぎたいと思っても、水野進さんの勇気がなかったら、できません。「二本松戊辰少年隊記」を書き残していってくれたことが、本当にふるさとを、ふるさとで生きた人たちを語り継ぐぽくへの力を与えてくださいました。ぽくは、子どもに少年隊という深い郷土愛を持った人々がいたことを語り継ぎたいと思います。
【人の輝き】
二本松市立二本松第一中学校 三年 遠藤誠大
人が輝く時とは、どんな時だろうか。そのタイミングは人それぞれ違うだろう。ただ、確かな事は、僕の故郷、二本松にも輝き、そして散っていった少年達がいたということだ。 それは、今から百五十四年前、わずか十二歳から十七歳の少年六十二名が、刀を手に取り、時には銃を撃ち、最期まで西軍に立ち向かった。その働きは、敵である西軍からも称賛されたという。 僕が、この話を知ったとき、初めは悲しみや、彼らを憐れ む気持ちが心になだれ込んできた。自分よりも幼い子ども達までもが、この地で血を流したという事実に衝撃を受けた。 そして同時に、彼らへ多くの疑間を持った。 彼らは自ら出陣を志願したというが、自分の命が惜しくはなかったのだろうか。いや、こんなことを聞いたら、「武士として故郷のために戦うことこそ、本望ではないか。」 と彼らに言われてしまうかもしれない。また、なぜ幼い少年達が、命までもかけて故郷を背負わなければならなかったのか。彼らの強い思いの源は何だったのだろうか。 長い間答えが出せず、様々な疑問が頭の中で飛び交う中、 僕の心に新たな感情が芽生えてきた。それは、彼らの生き様が、最期が、どことなくかっこよく、輝いているように感じたのだ。自分の家族を、友達を、生まれ故郷を守るという志一つで敵に立ち向かっていった姿は、泥だらけだからこその、美しさがある様に感じた。そして、このとき感じた美しさは、 日常の中でも出会うことがあった。 それは、学校で友達と将来の夢の話をしているときだ。明確な夢や目標を持っている人ほど、夢について喜々として語るので、キラキラして見える。そんな人たちほど、夢に向かい人一倍努力しているので、さらに際立って見えるのだ。 だが、中学生で明確な夢を持っている人は少ないように感じる。同級生に、「どこの高校に行きたいか。」と聞くと、ほとんどの人が答えられるのだが、 「大人になったら何になりたいか。」 と聞くと、半分以上の人が、はっきりと答えられないのだ。 それは、コロナ禍になってから、さらに増えた気がする。活 動の制限や、人との交流の減少など、様々な壁により、目標に向かって動くことはおろか、目標を見つけることさえも難しくなっている。それにより、人が輝ける機会も減り、皆が目標を見失うという状況になっている。しかし、彼らの時代も大変だったはずだ。なぜ、まだ若い彼らが、故郷を守るという大きな志を見つけ、持ち続けられたのだろうか。
いや、若いからこそ持ち続けられたのだろう。大人になると、限界をある程度予想してしまうので、志を持ちづらくなってしまうと思う。その分、僕たちは限界を知らない想像力を持っている。この想像力を使い、志を見つけ、その志に向かって進めば、この暗い日常に光を差せる輝きを見せられるはずだ。僕は今、地域との関わりをもっと持ちたいと考えている。清掃活動、地域行事などを通して、目標を持ち、様々な人と ふれあい、協力することで、みんなと共に輝くことが、今を元気づけることが、出来るのではないかと思ったからだ。今は、生徒会で企画しようと、仲間と共に準備を進めているところだ。 初めは、小さなことで良いと思う。地域を元気づけたい、楽しい学校生活にしたい、そんな些細なことでかまわない。後は、かつて彼らが出陣を志願したように、行動に移すのみ。 僕らの若さと活力で、目標に進んでいけば、自らの輝きを見い出すことが出来るはずだ。やはり、人が輝く時というのは、その人の力で志に向かい、 協力し、一生懸命進もうとしているときなのかもしれない。 僕は今、彼らのように輝けているだろうか。 「心の差す方へ」 彼らの思いと共に、これからも歩いて行こう。
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