【長岳寺(長野県阿智村)】
長野県下伊那郡阿智村に武田信玄公のお墓があります。長岳寺は、天台宗の古いお寺です。武田信玄公は野田城の戦いで病にたおれ甲斐へと帰国の途上で亡くなりました。その場所が駒場(現阿智村)の地であり、 遺骸を安置したのが長岳寺といわれています。 遺品として、信玄公の兜の前立て二種類が寺宝として所蔵され 十三重の供養塔があります。 実際には、駒場宿で命を落としたと言うよりは、 三州街道の寒原峠から駒場に抜ける途中(山中)で1573年4月12日に亡くなり、 この駒場の長岳寺に運ばれたと言うのが正しいようです。 極秘のうちに駒場で火葬されました。 この時、長岳寺は、 武田信玄の義理の兄弟である下條家出身の六世・裕教法印が住職を務めていました。
長岳寺には、武田信玄公の遺品として 信玄公の兜の前立て二種類が寺宝として所蔵されており、いずれも良品で、特に三鍬形の兜台は、同じ品が山梨県でも発掘されております。武田信玄公が用いた品であることは確実であると言われております。
私は、8/8~8/9の一泊二日で日本一星空が綺麗と認定されている長野県阿智村を訪問しました。その際に、「武田信玄公終焉の地」という看板をたまたま目に入り、「長岳寺」を訪れました。武田信玄公の終焉はこの地だったとは全く知りませんでした。
【記者 鹿目 哲生】
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