上野公園には数々の坂がある。
JR上野駅公園口から線路沿いに南に下る坂道。これは車坂と言われている。私が車で東京に来た時は、この車坂の坂下にあるパーキングに駐車することが多い。駐車場を出ればすぐ目の前が上野駅。駐車料金は上限2,000円なので安心して出かけることが出来る。
車坂
上野公園内にある坂で、 公園大通りの方から花園稲荷神社へ鳥居を潜り抜けながら下りて行く石段の坂。 坂を下りた先に社殿がある。花園稲荷神社は「穴稲荷」「忍岡稲荷」とも呼ばれ、創建年代は諸説あるが、江戸時代初期には創建されていた。 これにより江戸時代から「稲荷坂」の名がある。 享保十七年(1732)の『江戸砂子』にその名が見え、 明治二十九年(1896)の『新撰東京名所図会』には「稲荷坂 忍ヶ岡の西方に在りて、穴稲荷へ出る坂路をいふ」とある。
花園稲荷神社は、 忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)が正しい名称で、 当初石窟の上にあったことから穴稲荷ともいわれていた。 御祭神は、 倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)が祀られている。 倉稲魂命は、 農業の守護神として信仰されている。
稲荷坂
忍坂は上野公園内にあって、 不忍池側から五条天神社の脇を上っていく坂です。 坂は緑に囲まれていて、S字型にカーブして、勾配はやや急です。 坂に沿って東側に石段の散歩道(写真上段右)が造られています。坂に標識はありません。 戦国時代、上野は「忍が岡」と呼ばれていたそうで、坂名はこれに由来しています。
坂を上る途中で左に、五条天神社があります。 五條天神社は薬祖神としての信仰をあつめた神社で、 主神に大己貴命((おおなむじのみこと)大国主命の別名)と少彦名命(すくなひこなのみこと)二柱の薬祖神を、 相殿(*)に菅原道真をお祀りしています。
忍坂
清水と書いて「きよみず」と読む。清水坂(きよみずざか)。坂の上には、東叡山寛永寺清水観音堂があり、坂の名はその堂の名称にちなんで付けられたもの。清水観音堂は寛永八年(一六三一)に京都の清水寺を模し摺鉢山の上に創建され、元禄七年(一六九四)に現在地へ移転した。国の重要文化財に指定されている。
清水坂
また、上野公園には清水坂(しみずざか)という呼び名が違った坂がある。
不忍池と上野公園の間の道を上野動物園の敷地に沿って北上し、森鴎外ゆかりの水月ホテル鴎外荘の前を過ぎると、 やがて下谷警察署の交番のある三叉路に出る。三叉路を右折して50mほど進めばそこが清水坂の坂下だ。坂下で90°向きを変えると都立上野高校の正門前までゆるやかな上りが続く。坂の長さは150㍍ほどあるが、標高差はわずか1㍍ほどしかない。緩やかな坂だ。坂下の曲り角に台東区教育委員会がたてた坂標があり、以下の説明が書かれている。
「坂近くに、弘法大師にちなむ清泉が湧いていたといわれ、坂名はそれに由来したらしい。坂上にあった寛永寺の門を清水門と呼び、この付近を清水谷と称していた。かつては樹木繁茂し昼でも暗く、別名暗闇坂ともいう。」
上野公園の緑が印象的な坂だが、坂の標識に書かれた暗闇坂のイメージとはほど遠い。坂名の由来になったという「弘法大師にちなむ清泉」や、坂上にあったという「寛永寺の清水門」はもはや存在しない。
しみず坂
三段坂、この坂は戦後この清水町の19番地から21番地にかけての屋敷町大通りに名付けられた坂だ。段の付いた坂なので三段坂と呼ばれている。戦後とは第二次大戦後のことで、この坂道は明治20年(1887)版地図にはなく、同明治29年(1896)版地図には描いている。したがって、明治20年代に造られた坂道であることがわかる。
三段坂
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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