『兵器製作所跡』 in 熊本
テーマ:太平洋戦争 先週 3月23日に 靖国神社にいって来ましたらちらほらと桜が咲いていました。 もう春ですね~。 そして、4月4日に行ったら、 満開でお祭りがおこなわれていました。
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今回は、 一気に時代をあげ太平洋戦争時 熊本にあった兵器製作所跡をご紹介したいと思います。 その跡は、熊本県の菊池郡七城町にあります。 地元の人だったら道の駅「メロンドーム」の近くといえば お分かり頂けるかと思います。 以下、 柏書房 『しらべる戦争遺跡の事典 』 十菱 駿武・菊池 実編者 から引用させて頂きたいと思います。
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『熊本には、その地の利などから明治政府のもと 鎮台の本営が置かれ、一八八八(明治二一)年に、陸軍第六師団となった。一五年戦争時には、歩兵第十三連隊、騎兵第六連隊、野砲兵第六連隊、工兵第六大隊、輜重兵第六大隊も駐屯し、まさに軍都として、九州における陸軍の軍事拠点となった。
日本は、一九三一年の柳条湖事件を機に十五年戦争を開始し、三七年七月の盧溝橋事件を口実に中国大陸へ 全面侵略に乗り出した。このとき熊本の第六師団も動員され 南京攻略にも加わった。以来、敗戦まで二六万九八四八人の兵士が戦地に赴いた。熊本市には、こうした背景などから、一九四四年に三菱航空機製作所が完成し、四月から四式重爆撃機 「 飛龍 」 キ67の生産を開始した。しかし、実際には四五年六月までの期間に、四六機が生産されたにとどまり、敗戦となった。ここで生産された「飛龍」は、旧日本陸軍の「名機」の1つと言われる爆撃機で、時速五三七キロで航行し、その総生産記機数は六九七機にのぼり、多くの若者を死地へ飛び立たせた。健軍三菱航空機製作所は、一九四五年三月二六日、米軍の爆撃と機銃掃討で一九名の死傷者をだし、工場は打撃を受け、疎開と地下工場の建設が余儀なくされた。 こうした地下工場は、県内一〇か所でその建設が進められ 上熊本の地下工場を除いては完成をまたずに敗戦を迎えた。小松裕熊本大学教授らの調査をもとにした 「熊本の強制連行の記録」などの資料によると、判明している地下工場は、
・「米田村」 (現在の山鹿市小原) ・「木葉」(玉名郡玉東町木葉) ・「植木向坂」(鹿本郡植木町向坂)・「水島」(菊池郡七城町台) ・「上熊本」(現在の熊本市京町二丁目三-三)・「万日山」(熊本市春日町)・「大津(菊池郡菊陽町大字津久礼字今右)
の七か所にのぼっている。しかも、こうした地下工場の掘削工事には強制連行の 朝鮮人労働者が徴用され、その数は一〇〇〇人を超したといわれている。七か所の地下工場のうち「水島」「米田」「大津」の各工場は横穴古墳群の一角に 建設されており、なかには横穴そのものを利用して造られたものもあった。一連の地下工場の中で、最も保存状態が良い菊池郡七城町台の「水島工場」は 瀬戸口横穴古墳群 の八か所の横穴を利用して 掘り進められており、これらをドッキングして地下工場にする計画であった。』
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<幕末・明治> miki の 史跡巡り帳 【 熊本県菊池郡七城町台 『 瀬戸口横穴古墳群の説明板 』 2008.2撮影 】
<幕末・明治> miki の 史跡巡り帳 【 利用された横穴を横側撮影 】 <幕末・明治>
miki の 史跡巡り帳 【 8か所中1つの横穴への入口 】 中に入れないようになっています。<幕末・明治> miki の 史跡巡り帳 【 その奥を撮影 】 しかし、 真っ暗やみでなにも見ませんでした。
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熊本は、古墳がたくさんありますが 戦時中にはまさかそれを利用して 戦闘機を作るための工場があったとは驚きでした。 それを造るために、 朝鮮人労働者まで徴用され
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今回は、郷土の負の歴史を1つ知れました。 <引用文献> ・ 柏書房 『 しらべる戦争遺跡の事典 』 十菱 駿武・菊池 実 編者
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