バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…

ザ・戊辰研マガジン

2018年10月号 vol.12

桜宝寿のいろいろ感想、「3度目の結婚」

2018年10月03日 21:04 by moomin6001
2018年10月03日 21:04 by moomin6001

「西郷どん」第29回「3度目の結婚」

歴博に大坂海軍塾の展示  久しぶりに故郷の鹿児島に戻った吉之助です。京都での大活躍が故郷にも知れ、何やら、今までとは待遇が大違い。吉之助は久光をうまく操縦して、いや、懐柔しながら、薩摩藩をまるごと自分の願う方向へと持っていこうと努力中です。このあたりが脱藩して、自由な身分となる龍馬ら浪士たちとの違いです。文久・元治年間は浪士たちの活躍がありましたが、ようやく幕府側も天誅を抑え込み、京大坂の治安を回復していきます。京都では一橋・会津・桑名の一会桑勢力と呼ばれる権力構造が確立し、彼らの最前線実戦部隊が新選組でした。浪士たちは影をひそめ、慶応になると、藩ぐるみの反幕府勢力の確立が模索されました。高杉が功山寺決起により、長州藩の藩論を反幕に変えるのももうすぐです。  吉之助は大久保を国の体制を変える方向へ引っ張ろうと説得するものの、大久保はつれなくて・・なのですが、そうなのですか、明治以後に「新しい国を作る」ことに関しては、吉之助よりも大久保の方が熱心なものですから、てっきり、大久保主導で薩摩藩が反幕に変わっていくものだと思っていました。維新後、吉之助は薩摩にさっさと帰ってしまいますしね。今後、どう、吉之助が大久保をその気にさせるかが見どころです。何しろ、大久保が動いてくれないことにはね!  

もともと、島津斉彬はアヘン戦争での清国の敗北を受けて、従来の徳川専制国家ではなく、外様大名も国政会議に参加できるような集権国家をめざしていました。しかし、参与会議、四侯会議を実際にやってみて、外様大名は結束できずに(何しろ、みなさん、国元では専制君主なわけして、協調となると・・。)慶喜には勝てず、将軍になった徳川慶喜打倒になっていくわけですが、斉彬もまさか、下級武士集団が国の実権を握る国家ができようとは、予測もしていなかったでしょう。斉彬がもう少し、存命だったら、維新の形が変わったかもしれません。 家老の桂久武、いい味を出しています。この方の日記の近年の研究で、幕末の薩摩藩の動向がずいぶん、分かるようになってきました。

 糸に国を変えたいと志を語る吉之助です。プロポーズにしては、少々変わっていますが、要は、お互い大人同士、夫婦というよりは同志として共に歩もうということでしょう。史実では、糸と吉之助は16歳違うそうで、幼馴染設定は無理があり、とのことです。 これから、吉之助は周囲の人々を巻き込んで、大きな夢に向かっていくことになります。 現在、大阪歴史博物館で「西郷どん」展をやっています。NHK主催で大河ドラマに関連した展覧会は毎年、素晴らしい展示品が出品されるので、ぜひ、ご覧になってください。今回、国宝や重文が普通に展示されていて驚きましたが、展示期間限定のため、途中で入れ替えが3回ぐらいあるようです。後半も行かねばなりません。 展示会場は前半と後半に分かれていて、間の廊下部分に西郷に関する史跡めぐりの地図を掲載したパネルが展示されています。京都、大阪、東京とあって、大阪編に薩摩藩蔵屋敷跡と大阪城に並んで、大坂海軍塾跡の銘板が掲載されていました。取り上げてくださった関係者の皆様に深く感謝です。ありがとうございます。 旧AAホールビルの方は、現在、取り壊されているようですが、銘板がそのまま設置されることを切に願っています。

 

関連記事

星亮一先生のことと私の会津についての少しばかりの知識

2024年春季号 vol.5

【史跡を巡る小さな旅・十二】目黒通り

2024年春季号 vol.5

【史跡を巡る小さな旅・十三】行人坂(ぎょうにんざか)

2024年春季号 vol.5

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)

2024年春季号 vol.5

今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…

2023年秋季号 第3号

戊辰戦争では、当時の会津藩は鳥羽・伏見の戦いで「朝敵」とみなされ、その後も新政…