映画「天外者(てんがらもん)」が公開されて、本当によかったです。
この映画については、数年前から存じていまして、田中光敏監督にもお会いしたことがあり、どうなっているのかとずっと、映画のことを心配していました。五代友厚を演じられた三浦春馬さんの訃報、コロナ禍、昨年の幕末映画の公開延期と続き、本当に2020年はいろいろありましたが、この映画の公開は、幕末好きにとっては明るい話題となりました。
以下、ネタバレも含みますので、映画をご覧になる予定の方は、どうぞ、ご留意ください。
春馬さんの五代才助友厚、端正な五代さんでした。「あさが来た」で五代を演じられたディーンフジオカさんといい、五代役は男前で決定ですね。2021年の「青天を衝け」でも、明治以降の五代が登場するでしょうから、今から楽しみです。もちろん、渋沢栄一と五代は交流があります。「西の五代、東の渋沢」ってね。
映画の冒頭、長﨑で五代は走っていました。同時に走って逃げている龍馬も登場。1857年、五代は長崎の海軍伝習所に居て、勝麟太郎と知り合いでもおかしくはないですが、龍馬はまだ、勝と知り合いではないですね。メイキング番組によると、タイトルをもとは「外伝」にしようとしていたこともあったようなので、史実は横に置いておいて、ドラマとして楽しんだ方がいいのでしょう。
何度か追ってから一緒に逃げたことから、龍馬と親しくなる五代です。この二人、仲が良かったのは間違いないです。後年、いろは丸事件で五代の世話になった龍馬は、「才助が頼みにて申し候」と、書状に書いているぐらいです。長﨑では、多分二人で、「龍馬」「才助」と呼び合っていただろうと思われます。どちらも天保6年生まれで、同い年です。小松帯刀、篤姫、井上馨、松平容保、土方歳三、前島密らも同じく、天保6年生まれで、よく幕末史跡のご案内をするときには、彼らの事を「花の天保6年組」と筆者は呼んでいるのですが、この話をNHKのヒストリアで、五代を取り上げる際に取材された折に、ディレクターさんに話しましたところ、採用され、番組でその件が放映されました。
三浦翔平さんの演じられた龍馬役も明るい、躍動感のある龍馬でした。それだけに、近江屋事件の場面は何回見ても、哀しいですねぇ。五代も龍馬の訃報を聞いて、嘆いたことだったことでしょう。あと、1カ月半、龍馬が生きていれば、鳥羽伏見の戦いで状況は変わっていたでしょうに。慶応4年2月に大坂の運上所の所長になった五代は、副官に海援隊で龍馬の副官格だった陸奥宗光を採用していますが、二人で3か月前の近江屋事件をさぞや、話し合ったことでしょう。慶応3年11月15日に、陸奥は京都に居ました。もし、龍馬と一緒に居たら、日清戦争の様相はまた、違ったものになったかもしれません。こちらは「坂の上の雲」の話ですね。
岩崎弥太郎は明治初期、大阪の西長堀に居ましたから、五代と知り合いだったとは思いますが、仲が良かったという話は聞きません。映画で、利助として登場する伊藤博文の方は、明治初年に五代が小松に宛てた書状に、伊藤と共に神戸を訪れた話が出てきます。五代は伊藤のことを「俊輔」と呼んでいます。 映画は長崎での五代、龍馬、伊藤、岩崎の青春群像劇で進行し、メーンは幕末期です。薩英戦争時の五代が捕虜になったエピソードは、興味深いです。英語のできる五代は、英国海軍を追っ払うために、寺島宗則(後の外務卿)とともに、わざと捕虜になったとも伝わりますが、他の薩摩の侍にとっては捕虜になったなんて、絶対に許されんことでしょう。 薩摩と英国との賠償交渉が横浜で成立し、解放された五代と寺島を助けたのは、寺島と懇意だった福沢諭吉だったとか。明治以降、五代と福沢の間には交流がありました。英語関係の人脈でしょう。彼らはこの時期、英語が話せた数少ない人材です。
映画では、五代は龍馬や伊藤、岩崎以外は友人がいないのかとも取れますが、実際は、主君の斉彬以外にも理解者はいて、薩摩島津家家中にも同志は数多くいました。大久保とは、朝ドラでも描かれていたように、共に日本の国づくりに向けて協働し、碁仲間でした。よく、五代は東京に出張すると、大久保と碁を打っています。西郷家では、吉之助よりは弟の信吾の方と同志で、五代が亡くなった後、五代の借財を松方や黒田と共に、処理したと言います。
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