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ザ・戊辰研マガジン

2022年03月号 vol.53

【幕末維新折々の記・二十六】東京駅丸の内駅舎

2022年02月10日 12:06 by tange
2022年02月10日 12:06 by tange

 我が国の近代建築設計の先駆者、辰野金吾は、生涯に中央銀行本店、中央駅、国会議事堂を設計するという目標を立てていた。中央銀行本店と中央駅は実現させたが、国会議事堂だけは叶わなかった。彼の設計する国会議事堂を想像してみたくなる。

 東京駅丸の内駅舎は、大正3年(1914)に完成した大規模な煉瓦造建築で、国の重要文化財に指定されている。
 煉瓦は、古代ローマの時代から、西洋建築の構造材として用いられてきた。ただしそれは、露出して使用されるのではなく、表面を漆喰や石などで仕上げられるのが原則であった。
 ヨーロッパで大規模な建築が赤煉瓦むき出しの姿で出現するのは、比較的新しく19世紀になってからである。
 煉瓦の大きさは、10㎝(小口)×21㎝(長手)×6㎝(厚)で、国際的にも概ね共通である。積み方は、その小口と長手の見せ方で、イギリス積みやフランドル積みなど様々である。東京駅舎の場合、設計者・辰野金吾は、構造体として小口と長手を一段置きに積むイギリス積みを採用した。そこまでは一般的なことであるが、彼は外壁の仕上げについて驚くべきことを指示していた。
 漆喰や石で化粧しない煉瓦造建築は、構造材である煉瓦をそのまま仕上げとするのが通常であった。しかし辰野は、東京駅舎の外壁を厚みが1.5㎝と4.5㎝の二種類の特注化粧煉瓦を貼って仕上げとした。その貼り方は小口だけを表に見せる小口積みを採用し、目地は覆輪目地という蒲鉾のように真ん中が膨らんだ手間の掛かる形状を採用した(なお、復原された外壁は、1.5㎝厚の化粧煉瓦だけを使用している)。
 東京駅丸の内駅舎は、構造体として煉瓦を積み、その上を化粧煉瓦で覆うという他にあまり例の無い近代建築だったのである。
 彼がなぜそうしたのか、今となっては全く分からない。皇居の正面、構造材がむき出しでは畏れ多いと考えたのかもしれない。臣、辰野金吾の面目躍如といったところか。
 
 東京駅舎には、南と北の端部に乗降車口があり、それぞれに巨大なドームが架けられている。二つのドームは、昭和20年(1945)5月の米軍の空襲によって焼け落ちたが、平成24年(2012)に他の部分と併せて原形に復原された。
 ドームは八本の柱で支えられ、各々の柱の真上には、十二支が浮き彫り(レリーフ)で飾られている。この時代の建築家は、西洋建築を設計する際、あえて中国や和風に由来する装飾を好んで用いた。
 ここで誰もが不思議に思うのだが、辰野は、なぜ八本の柱上方の装飾として十二支を選んだのであろうか。それでは四種の動物が余ってしまう。ここに十二本の柱を立てれば解決する。しかし、この乗降ホールは多数の人々が行き交う場所で、前後左右に二本ずつ柱を立て乗降客の十文字に交差する動線に支障の無いようにしたい。八本の柱には、機能的な合理性があったのだ。
 辰野は、建築空間の装飾性と合理性とのあいだで、大いに悩んだに違いない。この問題について彼が採った解決には、思わず微笑んでしまう。同時進行で設計していた故郷、佐賀県武雄市の武雄温泉楼門の天井に、東京駅を逃げてきた四種の動物がいた。辰野は、天井の四隅に子、卯、午、酉の干支にちなむ動物を、それぞれ30㎝四方の杉板に浮彫りで描いて飾ったのだ。
武雄温泉楼門は東京駅開業翌年の大正4年(1915)に完成し、やはり国の重要文化財に指定されている。

 辰野の設計によって東京駅舎が完成した際、その正面貴賓玄関から皇居に向かって幅員70mを超える道路が造られた。現存している行幸通りである。当初濠の手前で止まっていた行幸通りは、大正15年(1926)、江戸城の史跡で貴重な文化財でもある濠を埋め石垣を破壊して坂下門前の広場につながった。この行幸通りの延伸は、皇居が旧江戸城・西の丸に定められたのであまり必然性が無かったと考える。それは、会津藩上屋敷跡を道路下に葬り去ることを意図した、全く理不尽な施策だったと言わざるを得ない。
 辰野金吾は大正8年(1919)に65歳で逝去しているため、この暴挙について何も承知していない。
(鈴木 晋)



東京駅丸の内駅舎・北口ドーム(手前)と南口ドーム(奥)

 
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