津軽鉄道・ストーブ列車とスルメ
毎年、北国での雪の便りが届くころ、12月1日は津軽鉄道のストーブ列車の開通日だ。冬季の12月から翌年の3月までの4か月間は、本州最北端の津軽平野を貫く津軽鉄道はストーブ列車を走らせ、乗客への暖房としている。この津軽鉄道は本州最北の私鉄として今、現在も雪の津軽平野を走っている。
津軽の五所川原から津軽中里まで鉄道が敷かれ営業が開始されたのは昭和5年の事である、戦時中は一時中断されたが昭和22年から再開され、その年の12月からストーブ列車が走り、現在ではその列車は4代目であるという。一車両に2台ずつ設けられただるまストーブは、北海道産の石炭を燃料としている。走行中にだるまストーブの石炭の管理をしているのは、男性車掌さんや女性の売り子さん、そして津軽鉄道で観光案内をしているアテンドの女性(おんじゃ隊)である、このおんじゃ隊の女性たちは車内で流暢な津軽弁で観光案内をしてくれている。
だるまストーブといえば、ストーブの上に置かれるのは湯を沸かす薬缶であろうが、ここストーブ列車ではイカのスルメを焼くのが定番である、そしてそれが観光目玉でもある。もっともスルメ以外に焼いてはいけない規則らしい。
そしてイカのスルメ焼を定番とする飲み物といえば、日本酒であろう。
車内販売の日本酒「ストーブ酒」
津軽鉄道のストーブ列車の車内で販売されているのが、そのままの名前「ストーブ酒」である。
ストーブ酒
六花酒造株式会社
青森県弘前市大字向外瀬字豊田217
設立 昭和47年
創業 享保4年(1719年)
会社設立が昭和47年である、このことはその時代は地酒の時代の始まりで、輸送の高速化と流通の全国化で大手酒造会社の飛躍の年でもあった。しかし地方の小酒蔵は太刀打ちできずに淘汰された時期でもある。もちろん青森県の酒造会社もその例にもれずに、弘前市内の作り酒屋3社が合併してできた会社である。社名の「六花」とは当時の弘前市長が「雪の結晶」から六花と命名した、いかに地方都市での酒蔵会社の存亡に期待と願いを行政自身がかけていたということであろう。
六花酒造で醸造された「ストーブ酒」は、津軽鉄道だけに卸している製品なので、六花酒造に求めに行っても手に入れることはできない。
あくまで津軽鉄道のストーブ列車に乗らなければ飲めないのである。
六花酒造での代表銘柄は「じょっぱり」という、その意味は「頑固者」「意地っ張り」ということである。ストーブ列車でしか飲めないとは商売の機会を狭めているとの見方もあるが、いかにも津軽人らしく頑固に生き続ける東北人の代表選手にも思える。
暖かいストーブ列車のだるまストーブの前で呑む「ストーブ酒」は、キンキンに冷えていて旨かった。
「酔っ払い記者 伊藤 剛」
読者コメント