昨年、戊辰戦争百五十年を契機に「改めて薩長史観を問い直そう」と福島県の地方新聞の福島民友新聞が長期連載「維新再考」を特集しました。もちろん、星亮一先生も執筆されました。
この「維新再考」で、歴史小説家の半藤一利氏が、「明治維新」について興味深い内容を執筆されておりますので紹介します。
半藤氏は、小説家の夏目漱石、永井荷風が好きで、作品をよく読んでいるが、二人とも「維新」という言葉は使っていない、特に永井荷風は全く使っていない。漱石や荷風ら江戸の人は「瓦解」という言葉を使っていた。江戸幕府は瓦解した。江戸文化が瓦解したという意味だろう。更にこの二人が使っているのは「御一新」。作品を読んで「当時の人は御一新と呼んでいたんだ、維新なんて言葉はないんじゃないのか」と思ったのが、明治維新への疑問の最初だった。
もうひとつ、半藤氏の父方の祖母が長岡藩の生まれで、半藤氏が子供の頃、明治維新とか幕末の志士とか薩長を褒めるようなことを言うと、祖母は「うそなんだぞ」と言っていた。つまり、薩長は勝手に明治政府を作ったのだが、自分たちが権力を奪ったことが悪いことじゃないんだと言うため、自分たちを褒めるために「維新」という言葉を使ったのであって「あんなのはうそだ」と祖母は言った。「長岡藩七万四千石にけんかを仕掛けて約五万石を盗った。泥棒と同じなんだ」ということをさかんに言っていた。
歴史というのは、勝ったほうが自分のことを正当化するために改ざんする。そういう事例をずいぶん見てきた。だから、明治維新というのも薩長の改ざんか。明治政府当時を調べると、確かに「明治維新」という言葉は当時はない。使い出したのは明治十三年か十四年だった。明治十四年といえば「明治十四年の政変」があり、薩長政府、むしろ長州政府が土佐の板垣退助、肥前の大隈重信を追い出すため政変を起こし政権を取った。あの辺から使いだしたことがわかった。これは、なるほど薩長が、自分たちが革命を起こし、徳川幕府を倒し天下を取ったが、それが間違った革命ではない、歴史の流れの正当化があるんだということを主張するため、うまい言葉を使ったことがわかった。
半藤氏の指摘は、まさに真実であり、「明治維新」は造語であるといっても過言ではありません。歴史の真実を明らかにするといったこのような流れは歓迎すべきです。
【記者 鹿目 哲生】
2024年春季号 vol.5
今年は3月後半が寒かったせいか、例年より桜の開花が遅くなっておりましたが、全国…
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