「集合的記憶」la mémoire collective という言葉を聞いたことがあるだろうか。
集合的記憶とは、フランスの社会学者モーリス・アルヴァックス Maurice Halbwachs(1877-1945)が提唱した概念である。何やら複雑そうな概念に見えるかもしれないが(実際、複雑なのだが)簡単にいえば「古今東西関係なく、みんなで共有している知識」のことである。
具体的な例を挙げてみよう。たとえば、あなたはエジプトに行ったことがあるだろうか? エジプトは、日本から遠く離れた、アフリカ大陸にある国の1つである。そこには、古代エジプトの王の墓標である「ピラミッド」と呼ばれる大きな構造物がある。かくいう私は、エジプトに行ったことがない。しかし、行ったことがないエジプトに、ピラミッドが存在することを知っている。なぜ自分が行ったことがない場所に関する知識を持っているかというと、書物やテレビ、他者からの伝言などによって「実際にその場に行ったことのある人々」(=集合/集団)から「知識」(=記憶)を受け取り、共有しているからである。
【モーリス・アルヴァックス(1877-1945)】
(Wikipediaより)
こうした知識もとい「記憶」は、空間だけでなく、時間をも超越する。2018年、我々は戊辰150年(明治150年)の節目を迎えた。現在、この記事を目にしている方々の中に、戊辰戦争を直に体験した人は誰もいないはずである。しかし、我々は自らが体験したことのない戊辰戦争や、一度も面会したことのない幕末の人物についての知識を有しており、いろいろ想いをめぐらすことができる。なぜそのようなことが可能かというと、答えはもうお分かりだろう。先のエジプトの例と同じく、これもまた書物や写真、先祖代々の言い伝えといったメディアを通して、過去から現在に伝えられてきた「記憶」を、我々が「過去に生きていた人々」(=集合/集団)と時間を越えて共有しているからなのである。
大学を職場とする私は、平素より「集団の持つ記憶」を研究している。そのフィールドは日本ではなく中世ヨーロッパなのだが、過去に作られた文書を解読・分析することで、当時を生きていた人々/集団が書き残した記憶を、現代に蘇らせることを生業としている。昔の人々は何を考えていたのか、現代を生きる我々に何を残してくれているのか……そうした点に心惹かれる私は、洋の東西を問わず、歴史というものに興味がつきない。日本史でいえば、私が幼い頃、時代劇が大好きだった祖父がよく新撰組の話をしてくれたこと、高校の恩師が会津贔屓だったことから幕末史に最も関心があり、様々な書物に目を通してきた。ちょうど昨年は、愛用のロードバイクを背負って秋の会津若松を訪れ、市の内外にある戊辰戦争関連の史跡をめぐってきた。また、京都在住であることから、休みの日には地図を片手に、市内各所にある幕末関連史跡に足を運んだりもしている。
過去にヨーロッパで幾度となくフィールドワークをしてきた経験から、史跡を訪れるときには「記念碑」や「案内板」に注目する傾向がある。記念碑は、形状や材質、建てられている位置、建てられた時期、建てた人物/団体、建てた側の意図と見る側の受容……等々、分析すべきポイントが多岐にわたる複雑なメディアである。そして、記念碑や案内板に記された文字や説明書きを読んだ人が受け取ることになる歴史――共有する「記憶」――は、説明を書く人の立場や思想によって大きく変わってくる。歴史とは、過去に起こった紛れもない事実のことなのだが、後世の人の解釈次第では、その事実を改変し、歴史を作り変えてしまうことも可能といえよう。
【ヨーロッパの記念碑の例:シャンフォラン(イタリア)】
【説明板:伊、仏、英、独の4言語で書かれている】
日本でも様々な幕末関連史跡を訪ね歩き、各地にある石碑や案内板に注目してきた割には、そこに刻まれた「記憶」を丹念に分析することは殆どしてこなかった。今回、新参者ながら『戊辰研マガジン』に寄稿する僥倖に恵まれたので、この機会を活かし、これから幕末関連の石碑や案内板を自分なりに分析してみようかと考えている。我々が有している「記憶」と、史跡を通して共有する「記憶」は、果たして同じものかどうか。異なっているとすれば、どういう点に差異が見いだせるのか。もちろん、分析を通して生まれる解釈は私個人の視点に基づくものではあるが、それが戊辰戦争研究会における研究成果の1つとなれば望外の慶びである。
(文責:有田豊)
◆参考文献
・松本彰『記念碑に刻まれたドイツ:戦争・革命・統一』東京大学出版会, 2012.
・安川晴基「『記憶』と『歴史』:集合的記憶論における一つのトポス」『藝文研究』慶應義塾大学藝文学会, 2008, pp.68-85.
・アルヴァックス, モーリス『集合的記憶』行路社, 1999.
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