福島県伊達市霊山町大石に別格官幣社及び建武中興十五社のひとつ(建武の新政に尽力した南朝側の皇族・武将を主祭神とする15の社)とされる霊山(=靈)神社があります。
主祭神は、北畠親房・顕家・顕信・守親を祀っています。ご利益は、農水産豊穣、家内・交通安全、商売繁盛、心願成就、入試合格、武道向上とされ、最近では、2017年6月5日に、岩倉家が奉納したとされる錦の御旗が話題となりました。(2019年12月21日に戊辰研究会の鹿目さんが記事を書いています)
なぜ岩倉家がここに奉納したのかについては、あくまで勝手な考えですが、村上源氏久我家の流れを汲む公家であり北畠氏と同じ笹竜胆の家紋であるためだと思います。(父方の系譜をたどると大化の改新の中大兄皇子と中臣鎌足っていう面白い関係性までみえます。)
さて、祭神とされている北畠顕家は、後醍醐天皇の側近「後の三房」のひとりである北畠親房の子として生まれ、数え14(満12)歳で参議に任じられ公卿となります。建武の新政が始まると東北地方に派遣され武将として功績をあげます。足利尊氏が天皇に反旗を翻すと天皇側の有力な武将として尊氏を敗ります。しかし、勢力を盛り返した尊氏と再戦しますが、高師直の軍に敗れ、わずか20歳という若さで戦場に散ります。
霊山神社入り口には、そんな天皇の寵愛を受けながら才能豊かな顕家を讃えて銅像がありますが……美男ではない( ̄▽ ̄;)……すいません……つい本音が(汗)
霊山神社は、1817年(文化14)に松平定信が霊山碑を建て1868年(明治元年)に、米沢藩の儒者・中山雪堂と医師・西尾元詢らが英霊を祀る神社創立運動を起こし1876年(明治9)の明治天皇東北巡幸を機会とし、陸奥国府があった建武の新政ゆかりある「霊山」が選定され、支城の地に社殿が造営された。
【Wikipedia引用】
ちなみに、ここの神社の二第宮司って実は、西郷頼母(保科近悳)です。
ここで神職を務め西郷四郎を養子として境内で柔術を教えていたそうです。幕末後の頼母といえば、東白川郡棚倉町にある都々古別神社の宮司(ものすごく荒れ果てています。)であり日光東照宮の禰宜さんでもあります。
これも運命なんでしょうか?
日光東照宮の禰宜を務める頼母と当時東照宮の宮司といえば容保。二人が顔をあわせたことないらしいけど。
と少し脱線しましたが神社参拝から幕末だけではなく様々なことが学べる場所です。
※錦の御旗は見れません。
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