「生麦事件」
この事件がなぜ、これほど詳しくわかるかと言いますと、見ていた人がいるのです ねぇ。大工頭の女房よしさん、その後、幕府の役人に届書を提出していて、今に伝わ ります。
京浜急行生麦駅近くに、生麦事件参考館があり、館長さんが詳しくこのあたりの状 況を教えてくださいますので、ご来館をお勧めします。資料をたくさん集められてい て、郷土の大事件(教科書にも載っています!)について、継承しようというお志に は頭が下がります。感謝です。
このリチャードソン殺害事件にあたって、賠償金を払え、払わないともめたことか ら勃発したのが薩英戦争で、この折、五代才助は後に外務卿になった寺島宗則と英軍 の捕虜になったので、映画「天外者」でも描かれていました。2021年のNHK大河ドラ マ「青天を衝け」で、文久2年の渋沢栄一は尊王攘夷思想に燃えていることでしょう から、この生麦事件も、描かれるでしょう。英一が京都へ行くのは2年後です。
大阪の西の端っこの東海道もそうですが、昭和の初めに、ほぼ並行して国道1号が 敷設されたおかげで、旧東海道は、ここ生麦でも生活道路として残されています。東 海道の石碑はないのですが(あってもいいですよね)、生麦事件発端を示す銘板、 「生麦事件発祥地跡」が設置されていました。こういうのがあると、ここが東海道の 道筋だというのが分かります。
今は周りは普通の住宅地ですが、この道を150年前まで、「下にぃ、下にぃ」と大 名行列が通ったのですねぇと、当時を偲んで感慨にふけっていました。筆者が横浜で まち歩きのガイドをするなら、まず一番に生麦は欠かせません!
生麦事件参考館の館長さんに、リチャードソン斬られた場所と絶命場所に案内があ ると、教えてもらい、リチャードソンが必死の思いで騎乗、たどったであろう東海道 を横浜方面に向かって歩きました。しばらく行くと、左手に祠に入った石碑があり、 明治期に建立された生麦事件碑が設置されています。大きなキリンビールの工場の前 です
石碑はこの付近で、リチャードソンが絶命したことを今に伝えています。
夕方、横浜港に戻ったら、船をつないだ鎖にかもめが見事に整列していました。港の風情です。
横浜と言えば、中華街!ということで、飲茶をいただきました。チョコ餡と桃餡です。美味でしたよ。
読者コメント