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2024年春季号 vol.5

全国の城と城下町巡り その4 山形② 米沢城

2024年02月21日 17:33 by katsukaisyu
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全国の城と城下町巡り その4 山形② 米沢城  2023-07-03 01:38:41 テーマ:史跡めぐり         米沢城 

  米沢城は、鎌倉期に大江広元の息子が城を築き、その後は伊達氏、蒲生氏、上杉氏が城主となりました。

 伊達政宗は米沢城が生誕地で、石碑が建てられていました。ただ、米沢城はもっぱら上杉謙信、景勝、直江兼続押しで、政宗の生誕地碑には銘板も無く、自分で調べてみて、へぇ~政宗は米沢生まれなのだと知った次第です。確かに、政宗が仙台に行くのは、秀吉の命でした。山形出身の方と話していて、政宗米沢城生誕の件を話すと、そうだそうだとのこと。米沢では、政宗は冷遇されているような・・・。もっと、生誕地をアピールしてもよいのにと思った次第です。  

  城跡にある上杉景勝と直江兼続の像です。家老の兼続と城主が並んで像が建っているのは、大河ドラマ「天地人」の影響でしょう。兼続は、関ヶ原の戦い前に、家康に物申した「直江状」が有名ですが、2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、直江状を突き付けられた家康が、どうするかが見ものです。

  上杉謙信は越後出身で、跡を継いだ上杉景勝が米沢にやってくるのは、江戸期に入ってからになります。大坂の陣では上杉景勝、直江兼続がともに兵を率いて大坂にやってきて、鴫野の戦いで奮戦しました。「どうする家康」がそこまで描いてくれるかですが、筆者はぜひ、大坂の陣のドラマ化を期待しています。「天地人」では、ラストの回が鴫野の戦いでした。

  こちらは旧米沢城の中にある上杉神社です

  関ヶ原合戦後、上杉氏の越後から米沢への移転に伴い、越後に埋葬されていた上杉謙信の遺骸を再葬したとのことです。  戊辰戦争では、米沢藩にも大きな被害がありました。城内に戦死者たちの招魂碑が建てられています。会津領内を出た土方歳三が、援兵を求めて米沢に入ろうとしたものの、領内には入れず、仙台へ向かったという経過もありました。 

  上杉家は領土は小さくなりましたが、何とか存続したおかげで、お宝が残りました。郷土資料館には、その最大のお宝、戦国期の「洛中洛外図」が展示されていました(模写)。戦国期の洛中洛外図はわずかに4作が残るのみで、大変貴重です。本作は織田信長が上杉謙信に上洛を促すために贈ったと伝わります。

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