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ザ・戊辰研マガジン

2023年春季号 第1号

大徳寺 聚光院~国宝 障壁画「花鳥図」(狩野永徳・松栄筆)

2023年01月05日 14:12 by tetsuo-kanome
2023年01月05日 14:12 by tetsuo-kanome

 京都でも有数の規模を誇る禅宗寺院 大徳寺塔頭「聚光院」にて、桃山時代の天才絵師、狩野永徳(狩野派4代目)とその父 松栄(狩野派3代目)によって描かれた国宝・聚光院本堂障壁画「花鳥図」全46面が京都国立博物館から5年半ぶりに里帰りし一般公開されております。特別公開は、5年半ぶりで、2022年9月3日(土)〜2023年3月26日(日)の期間、開催しております。私は、京都観光の最後に「大徳寺聚光院」で国宝の狩野永徳親子の「花鳥図」の素晴らしさに魅せられました。狩野永徳は、日本画の重要人物の一人として挙げらますが、永徳が手掛けた安土城、聚楽第、大阪城はいずれも兵火・破却に遭い現存する作品は少なく、このスケールで残るものは、聚光院の障壁画「花鳥図」のみです。1979年に「モナリザ」が来日し展示されましたが、その際に答礼としてフランスで展示されたのが狩野永徳の「花鳥図」だったそうです。まさに日本美術を代表する傑作といえると思います。

【狩野永徳・松栄作 国宝「花鳥図」】

 「大徳寺」は、織田信長や豊臣秀吉など戦国大名ゆかりの地。戦国武将に仕えた千利休や、日本美術史上の重要人物・狩野永徳を代表とする狩野派などが活躍した当時の文化の最先端であり、日本文化に多大な影響を与えた場所。「聚光院」は永禄9年、戦国武将の三好義継が養父・長慶の菩提を弔うために創建。開祖である笑嶺宗訢が千利休参禅の師であったことから、利休は聚光院を自らの菩提寺とした。 また利休の流れを汲む茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代の墓所でもあり、茶道を嗜む人にとって特別な場所。

【大徳寺 聚光院】

【千利休作庭「百積の庭」(名勝)】

【茶道三千家の関わりを持つ重要文化財「閑隠席」】

 

【「枡床席」】

【大徳寺の紅葉】

 

 大徳寺の近くに『今宮神社』があり、足を伸ばしました。今宮神社は、「玉の輿神社」とも呼ばれており、神仏に対する信仰心が強かった5代将軍徳川綱吉(1680年~)の生母桂昌院(お玉)が『今宮神社』を再建しました。「玉の輿神社」と呼ばれるようになったのは、諸説ありますが「玉の輿」の語源の由来とされるのが、この桂昌院(お玉)の出生の話です。もともとは身分の低い西陣の八百屋の娘だったお玉が、将軍・徳川家光に見初められ側室となり、大出世したというもの。誰もが憧れるシンデレラストーリーですよね。そのお玉によって復興した神社ですので、のちにと言われるようになりました。お玉ほど、自分の意思や策謀なしにトントン拍子に出世した人は日本史上いないとまで言われています。それほど強運の持ち主だったようです。

【今宮神社】

 今宮神社の参道には、一文字屋和輔(いちもんじやわすけ)のあぶり餅。一文字屋和輔は一和(いちわ)とも呼ばれ、今宮神社の門前名物となっています。一見して老舗だと分かる店構えの一和の創業は長保2年。耳馴染みのない年号は、何と西暦ではちょうど1000年。平安時代に京都府一帯に蔓延した疫病や災厄を鎮めるために、一条天皇の手によって、現在の京都府京都市の紫野に今宮神社が建立された正暦5年(994年)と、ほぼ時を同じくして一和は創業。平安時代から現存し、1000年間以上の営業年数を誇る企業というのは、京都府はおろか、日本でも数えるほどしかありません。飲食店としては日本最古の老舗と言われています。歴史深く、情緒ある店構えの軒下で、女将さんたちがうちわであおぎながら餅を炙る様子は、京都へ来たことを実感できるばかりではなく、古き良き京都の風景をも味わうことができます。白味噌はあんまりと言うほ方も、帰りには「次に来た時も必ず行きたい」と言わせる絶大な魅力が「あぶり餅」にはあります。「応仁の乱」の際、京の都が戦場となり、焼きだされた庶民に振る舞われたのが「あぶり餅」です。まさに、京の庶民を救ったのは「あぶり餅」だったと言えます。「一和」の店内奥には知る人ぞ知る井戸もあり、湧き水が湧き出しております。現在でも水が湧く井戸は、お店よりも古いという代物。この湧き水があったからこそ、応仁の乱のときも「あぶり餅」を作り続けられたそうです。

【一文字屋和輔~一和(いちわ)】

【あぶり餅】

 キリの良さそうな10本ではなく、13本なのは2で割り切れない数、奇数が日本では縁起が良いとされているから。餅の本数一つとっても、日本らしさが息づいています。親指大に千切られ、串に刺さってあぶられた餅が、お皿の上で扇を広げる姿は、繊細。食べるのが少しもったいないくらいに美しい一皿ですが、1本つまみ上げて食べると、上品な味噌の甘みときなこの味と同時に、焼いたお餅の香ばしさが口の中に広がります。日本最古の茶屋の1000年以上の歴史の味は、とてもとても美味しかったです。

 京都在住の高校の同級生から、事前に教えてもらっていた「あぶり餅」ですが、わざわざ行く価値は大ありです。京都は奥が深いと改めて思いました。

【記者 鹿目 哲生】

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