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読書感想、『異状死』 著者 平野久美子

2023年03月14日 15:38 by minnycat
2023年03月14日 15:38 by minnycat

書名『異状死』    著者 平野久美子  発売 小学館                発行年月日 2022年10月4日   定価 ¥900

 「異状死」とは聞きなれない奇妙な言葉である。はじめ「イジョウシ」と聞いて、「異常死」という漢字を思い浮かべたものだ。そもそも「異状」とは「異常な状態」意味するから「異常死」でもいいわけだが。言葉は大切である。一般の人々が抵抗なく受け入れられる呼び名があればいいと思う。わたしは「イジョウ死」で本稿を綴りたい。 施設など病院以外での死亡(自宅であっても)の、持病ではなかった死因の場合、基本的に《異状死》とされるが、具体的にはどんな死をさすのか。

 「イジョウ死」扱いされる範囲はとてもひろく、災害死から自殺、子どもの虐待死 多岐にわたる。風呂場での溺死、感染病にかかっての突然死、ディサービスやショートステイ先の些細な事故の原因での死も「イジョウ死」である。 独居孤独死が「イジョウ死」であるとされるのは理解できるが、自宅での老衰で眠るような大往生でも、かかりつけ医が死後診断をしてくれなければ「イジョウ死」とされてしまうとのことである。 それに加えて、「イジョウ死」と「正常死」との決定的な違いは、警察が介入してくることだという。

 「イジョウ死」扱いになると犯罪を疑う警察が介入し、遺族は事情聴取され、遺体は検視、検案を受けるのである。 警察がやって来て何が起こるのか?親族が「イジョウ死」となった場合、遺族の貴方にはどういう事態が待ち構えているのか?

 故人の年金額、貯蓄残高、金融資産、保険加入の有無などが「事情聴取」され、「検視(検死)」が執行される。「検死」というと、殺人事件や事故死、医療ミスによる死亡などの「事件」の話に聞こえがちだが、実態は“ごく普通の死”での検視が大半だということである。事件性が確認できず、それならあえて解剖はしなくてもよいことになるがその判断は医師ではなく、警察の手に委ねられている。要するに、貴方は被疑者のような扱いを受けるのである。こうした驚きの事実を淡々と、そしてこれでもかこれでもかと記すのは平野久美子である。

 平野久美子と言えば、日本とアジア、とりわけ台湾との関係を問い、「台湾の心」を描く作品が多いことで知られるノンフィクション作家である。主な作品としては、『テレサ・テンが見た夢・華人歌星伝説』(晶文社 1996年5月刊)、『淡淡有情 日本人より日本人』(小学館 2000年3月刊)、『トオサンの桜―散りゆく台湾の中の日本』(小学館 2007年2月刊)、『牡丹社事件 マブイの行方 日本と台湾、それぞれの和解』(集広社 2019年5月刊)、『トオサンの桜―台湾日本語世代からの遺言』(潮書房光人新社 2022年6月刊)などがある。

 私は『テレサ・テンが見た夢・華人歌星伝説』以来の読者であるが、平野が「イジョウ死」をテーマにした作品を上梓すると聞いた時、少なからぬ“違和感”を覚えたものである。「平野さんが「イジョウ死」とはなぜ」と。 それまでは「イジョウ死」について、一般人同様、死因究明とか解剖という単語は犯罪に限ったことでテレビドラマや小説の中のものくらいにしか思っていず、何の知識もなかった平野が「イジョウ死」にのめり込み執筆に至る動機は2年前の御母堂の死がきっかけであったという。

 2020年(令和2年)、この年、平野は一年間に御母堂、御子息の義父、従兄弟の伴侶の御3方を亡くし、皆が「イジョウ死」扱いにされたということである。家族、親族の死亡から火葬までの間に理解に苦しむことにいくつも遭遇し、犯罪捜査に居合わせたような違和感、恐ろしい犯罪や冤罪とは異質のある種の怖さを感じたという。「分からないことだらけで、真っ暗闇を手探りで進むような体験をする。唖然、呆然の日々を送った」とある。著者が大いに衝撃を受けたことは想像するに難くない。 が、ここで終わらない、終わらせないのが平野の平野たるゆえんである。 なぜ警察が最初にやってきて捜査の対象として事情聴取や検視をするのか? 「何か変だ」との己に根ざした疑問が、これは見過ごせない問題だと気づくにさしたる時間は要らなかった。

 世の中の問題に斬りこんでいく平野のジャーナリスト魂が疼き始めるのである。自分の体験から出発したごく一般人であるの目線から疑問はやがて遺族や法医学者、医師、警察の嘱託医、在宅看取りを行う医師、命の最後の現場に関わっている専門家たちへのきめ細かい取材となっていく。

 取材の過程で浮上したもう一つのテーマは日本の死因究明制度で、日本の死因究明がいつまでも警察主導で行われることは、それこそ「何か変」ではなかろうかと、摩訶不思議な制度の現状究明に挑んでいる。 「イジョウ死」は、いつ、誰の身に降りかかっても不思議ではないほど日常生活に潜んでいる「一つの死の様態」であるにもかかわらず、「イジョウ死」の現状について国民もほとんど無関心で、知らないことが多すぎるということを私は初めて知った。身につまされ絶句した。他人事では済まされない。

 「イジョウ死」どころか、「多死社会」、「同居孤独死」についても無関心、無頓着であった。 2030年問題とされる多死社会。戦後のベビーブーマー(団塊の世代=1947年~49年に生まれた戦後世代)たちが80歳代後半となり次々に亡くなり人口減少が加速する2030年代の状況は「多死社会」と呼ばれる。1949年(昭和24年)生まれの私にとっては他人事どころか我が身の問題である。 本書を脱稿して、著者は「イジョウ死」について関心が低い現状を踏まえ、他人事と思わずに、介護している人、されている人も読んで欲しいと訴えている。

本書は「イジョウ死」の遺族となると、どれほど面倒なことが待ち受けているかという体験談から入っているから、読み応え十分である。 御両親がどちらも「イジョウ死」と診断された著者自身が遺族として体験したことをもとにしたリポートであるから、自身や家族が「異状死扱い」されないためにはどうすればいいのかその対策も案じられている。「イジョウ死」扱いになるかならないかの分岐点は、第一報を「どこに入れるか」によってほぼ決まるという。そのために大切なことは、かかりつけ医に日ごろから定期検診をお願いし、家族と見守ってもらうことであると。

人生最後に「異状死」という結末が待っているとしたら、目も当てられない。 自分が亡くなる時のことも事前に打ち合わせをして、どんなふうに“人生を卒業したいか”、自分が人生の終末期にどんなケアを望むのか、日頃から遺志をしっかり伝えあうことは大切だ。日頃の心構えとして、元気なうちに自分や家族の死に対して、心の準備や覚悟を養ったおくことを本書より学んだ。

 平野さん、ありがとう!   (令和5年2月18日 雨宮由希夫 記)

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