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ザ・戊辰研マガジン

2023年春季号 第1号

長州と会津 戊辰戦争での敵対乗り越え未来志向の関係へ・・・市民グループが交流

2023年03月24日 06:23 by tetsuo-kanome
2023年03月24日 06:23 by tetsuo-kanome

 2023年2月15日、福島県からある旅行グループが歴史の町・山口県萩市を訪れました。目的はただの観光ではありません。一行の旅の目的は、萩市の路地にある小さなお堂、「唐樋地蔵堂」を18人のグループが訪ねました。

【唐樋地蔵堂】

 一行が丁寧に手を合わせる先は、中に飾られている額。描かれているのは、会津藩「白虎隊」の最期の姿です。一行は福島県西部・会津地方出身者たちです。

【白虎隊の額】

 会津からの一行の訪問を知り、萩市の田中市長も駆けつけました。田中文夫・萩市長は、「大変お寒い中を、この萩市にお越しを頂きました。心から歓迎申し上げます」とあいさつしました。 明治維新目前の戊辰戦争で命を散らした白虎隊の悲劇は、会津の人の心に深く刻まれています。同時に、当時の敵方である長州藩、特に萩市には強いわだかまりがあるといわれます。

【田中文夫萩市長】

 会津歴史観光ガイド協会・石田明夫理事長は、「戊辰戦争のことについては、和解はしません。和解はしませんけども、仲良くはできるんじゃないかなと思ってますんで、交流はこれからも深めていきたいと」交流きっかけに関係に変化を 会津と萩の交流。これこそが旅の目的です。

【会津歴史観光ガイド協会の石田明夫理事長】

 毎年9月に会津若松市で開催される一大イベント「会津まつり」は、はなやかな歴史絵巻ですが、戊辰戦争で亡くなった人々を弔う意味があります。戊辰戦争では薩摩と長州を中心とする新政府軍が城下に攻め込みました。街のシンボル、鶴ヶ城。1か月にわたる籠城戦には女性も加わり、多くの犠牲者が出ました。戦いのあとも埋葬されない遺体が横たわり、無残な状況だったと伝えられています。この出来事がいまも影を落としています。

 会津の悲劇伝える場所、萩で守り継ぐ 「唐樋地蔵堂」は、町内会が毎朝そうじをし、大切にされています。白虎隊の絵が飾られている経緯ははっきりとしませんが、明治時代には奉納されていたとしています。会津の悲劇をしのぶ場所が、かつての敵地・萩で受け継がれていました。

【毎朝、萩市の町内会の方々が掃除をしています】

 会津からの一行は、「ああすごいもんだな、やっぱり歴史なんだなと思いますね。これを見て、びっくりしましたね」 今回のツアーを企画したのは会津若松市在住で、歴史に関する本を書いている滝沢洋之さんです。今も残るわだかまりを民間交流で雪解けをと望む会津民俗研究会・滝沢洋之会長は、 「会津史談会の方をこの列に来てもらうように誘ったんだけど、何回も誘ったんだけども、結局はやっぱり来れなかったのね。いろんなわだかまりがあってね、まだね」と話しました。一部とはいえ、萩への強い反感が残っているようです。参加者は「うちのおじいちゃんあたりが、萩って聞いただけであまり良くない印象をもってまして。われわれ会津の人間が萩に来れば、萩の人々から抵抗があるのかなという印象はありました」 別の参加者は「民間レベルでこうやってお互いに行ったり来たりする機会が増えればいいなと思います」

【会津民俗研究会・滝沢洋之会長】

 会津で見聞広めた吉田松陰の松下村塾へ一行は足を運びました。幕末の争いになる前、吉田松陰は東北地方を訪れ、会津藩で見聞を広めていました。世界遺産で、ふだんは立ち入ることのできない講義室に上がって話を聞き、一行は松陰に親しみを感じたようでした。

【松下村塾】

 「長州と会津の友好を考える会」山本代表(萩市在住)は、 「交流を考えて来られたという、初めての方もたくさんおられた。大変うれしいです」 山本さんは、30年以上前に会津との関係を知りました。当時、友好都市の話が持ち上がったものの、会津若松市から受け入れられなかったと聞いたのです。両市の関係をもっと未来志向にと、70回は会津を訪れ、交流を重ねたといいます。滝沢さんのように、共感してくれる会津の仲間もできました。雪解けに向けて一歩ずつ山本代表は、「過去から現在までの感情をそのままもって、変えてくれなんて言わない。だけど、将来に向けて話そうと言うだけで、握手してくれるのが見たいね」 今回のツアーは小さくても着実な一歩になりました。両市の雪解けに向け、山本さんの活動は続きます。

【「長州と会津の友好を考える会」の山本代表

 

 過去には、こんなエピソードもありました。2007年4月14日、当時の安倍晋三首相が会津若松市において参議院議員選挙の応援演説の中で「先輩がご迷惑をおかけしたことをおわびしなければいけない」と述べました。幕末期、長州藩(山口県)などの新政府軍と旧幕府軍側の会津藩との戊辰戦争を意識したものだ。安倍首相は山口県出身。官軍に対する強烈な恨みが今も生き続ける土地柄ならではのあいさつだった。 安倍首相の発言を知った元会津若松市長、早川広中さんは「よく言ってくれたと思った」という。現在は地元で「白虎隊記念館」の理事長を勤め、白虎隊に関する著書もある。「当然の発言。もっと早く言ってほしかったくらいだ」との思いも頭をよぎった。早川さんによると、「長州への恨みは戊辰戦争だけではない」と指摘する。「明治維新以降も長州閥の高官が会津出身者の登用を妨害するなど長い経緯が積もり積もった問題だ」という。市長時代の1988年ごろ、山口県萩市(旧長州藩城下町)から姉妹都市を結ぼうという提案があり、一部の会津若松市議らが準備を進めたが、当時50歳以上の人を中心に「とんでもない」という批判が出て中止したという。現在では「若い人の中にはもう(許して)いいのでは、という人もいますよ」 では若い人はどうか。会津若松市の市役所の30代、40代の数人に話を聞いてみた。「こだわりはないですね。(首相発言も)特に感想はない」という人がいる一方、「大人の態度としていつまでも言い募るのはよくない、と表向きは言っていますが、実は親や祖父母から聞かされた恨み話がしみついているという部分もある」となかなか複雑な感情があることを明かす人もいた。 また、市役所の別の職員によると、市長が県外の会合に出かける際に山口県内の首長と同席予定がある場合、主催者側の自治体関係者から「同席になって大丈夫でしょうか」などの問い合わせがあることも珍しくないという。「時間差で(2人の市長が)入れ違いになるよう調整してくれる自治体もある」と周囲から気を使われているそうだ。1996年、萩市長が市民劇団の招きに応じ、初めて会津若松市を「非公式」に訪れ、翌年会津若松市長が「答礼」として萩市を訪問した。出迎えの場面では握手した2人だが、記者会見の場で握手を求められると、会津若松市長は「(和解として)ニュースで流れるには時間が必要だ」と応じなかった、というのは今でも語り草となっている。 「山口県民には違和感を持つ人もいるかも」 一方の山口県側の反応はどうか。2006年9月に発足した「長州と会津の友好を考える会」の山本貞寿代表は、20年以上地元の萩市で友好活動に取り組み、今回全県組織にした。「ほう、そんな発言をしましたか」。山本さんは安倍首相発言を知らなかった。山本さんは長年会津若松市へ通い、「友人も何人もできた」と話すが「今でも基本的に厳しい態度の人は多い」と肌で感じている。一方で「これまで私は謝罪とか和解とかは口に出していない」ともいう。「互いに悪いところを言い募るのではなく、良かったところをもっと見てほしい」と活動を進め、少しずつではあるが理解の広がりを感じるという。山本さんは安倍首相発言について、「戊辰戦争だけでなく、その後の歴史を含めどこまでご存知でそういう発言をされたのかな、とは思う」という。自身は批判的な気持ちはないというが、「(山口)県民の中には違和感を持つ人もいるかもしれませんね」と話した。なかなか歴史を語り考えるのは難しい問題のようだ。

 皆様は、この二つのエピソードをどのように思われますか?

「長州と会津の友好を考える会」の山本貞寿代表は、これまでの活動は素晴らしいの一語であり、尊敬に値すると思います。長州と会津は未来志向で前に進むべきかと強く強く思います。いつの日か、萩市長と会津若松市長が笑顔で握手する姿を見たいと願っております。

【記者 鹿目 哲生】

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