書籍「歴史人」(2023年1月号)の『江戸五百藩変遷事典」と題して、江戸時代の藩を詳細に分析しております。その中で、「名君」と「暗君」を選んでおりました。
『名君ランキング』の堂々第一位に選ばれたのが、会津藩の祖であります『保科正之公』でした。
【保科正之公】
【晩年の保科正之公】
保科正之公は、「会津家訓十五箇条」を定め、会津の憲法とも呼べる訓示。以後、二百年にわたり藩士・領民に守り続けられました。
【会津家訓十五箇条】
保科正之公が『名君第一位』に選ばれたことは素晴らしいの一語です。保科正之公は、徳川家康の孫にあたり、三代将軍の徳川家光の異母兄弟で、数奇な出征を乗り越えた生涯は上々で、何事にも負けず挑み続けた。江戸時代を代表する名君である。会津においても、会津藩は飢饉続きで不安にさいなまれている中、「社倉」を設け、安心して暮らせるようにした。「社倉」とは米などを備蓄して貧民を救うためのものだった。10年後には備蓄米が二万三千俵となり、領内23ヶ所に増えた。領民たちは、正之公の先見力に感謝するばかりだった。また、正之公は、当時としては珍しい福祉制度を始めた。領内90歳以上の高齢者に「養老扶持」を与える制度で、毎日五合の扶持米を配って喜ばせた。今でいえば、掛け金無しに養老年金を受け取ることができたようなものだった。そうした一方、会津の名産品の漆器や蝋などの保護に力を入れた。
江戸時代の並み居る名君の中で、保科正之公が第一位とは凄いことです。ちなみに、第二位が岡山藩の池田光政、第三位が米沢藩の上杉鷹山。逆に、「暗君第一位」は、徳川忠長。二代将軍徳川秀忠の三男。家臣にも領民にも狂暴な行為を重ねた。
私は、これまで当マガジンで保科正之公を何度も紹介しておりますが、私が崇拝する「保科正之公」が「名君第一位」に選ばれたことは、大変嬉しかったです。世間にもっと保科正之公のことをもっともっと知ってもらいたいものです。
【記者 鹿目 哲生】
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