弘前城
コロナ禍が長引き、まだまだ海外へは行けず、ということで、国内旅行を重ねていますが、訪ねているところはお城に寺に神社にと、外国でやっていることとそう変わらないなと思う次第です。城下町が多いので、しばらく、国内の城と城跡、城下町巡りを中心に書いていきたいと思います。大河ドラマも2023年度は戦国メーンですし、ドラマに登場する城も出てくることでしょう。
まずは青森県の弘前城です。明治維新後22年経って、全国で市制が制定されます。最初の市になるのは、東京や大阪、京都、神戸、広島、下関など、主に江戸期の城下町と港町が多いです。青森では、最初の市は青森市ではなく、弘前市でした。弘前は津軽藩の城下町です。筆者が津軽藩で記憶にあるエピソードは、関ケ原の戦いの後、石田三成の息子、石田重成が弘前まで逃げてきて、こちらで亡くなったことです。テレビで放映していたのですが、その方の墓が残されていて、墓碑には「豊臣」と刻まれているのだとか。真田信繁の息子は仙台藩で生き延びますが、三成の息子のその後も、興味深いものがあります。
弘前城の天守閣は、江戸期の1810年に造られたことから、現存天守閣の一つになります。石垣の修理のために、石垣の上に乗っている天守閣を解体するのではなく、曳家という上に持ち上げて、ずらして一旦地面に置き、修理後にもう一度元の天守台に戻すという工程を行いました。こちらもテレビでその作業を見たことがあり、一度、本物の天守閣を見たいものだと思っていました。
弘前城は桜で有名です。ただ、訪れたときは秋だったので、桜は見ることはできなかったのですが、紅葉が見事でした。バックに見える山は岩木山です。
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