今回から数回にわたり、 『伊庭八郎』 と 『沼津藩』 をテーマに 書いていこうと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ というのも、 先日 父方の祖父母宅が静岡県沼津市にあるために 沼津に行って来ました。
<幕末・明治> miki の 史跡巡り帳 【 静岡県沼津市 『 沼津駅 』 2009.3 撮影 】 東京から沼津までは、 東海道線・普通を利用しても2時間半で到着することができます。 静岡県の東部に位置し、 伊豆半島の付け根に位置する市です。 私の中で沼津と言ったら、 駿河湾に面して広がる 「 千本松原 」 でしょうか。
<幕末・明治> miki の 史跡巡り帳 【 静岡県沼津市 『 千本松原 』 2009.3撮影 】 ・・・・・・・・・・・・・・・・ しかし、 私がただの里帰り?旅行で終わらせるハズがありません。 またここでも私の中では新たな史実とご対面してしまいました! その関係人物が 幕臣の志を一徹に貫いた 『 伊庭 八郎 』 さんです。 八郎さんと沼津市の関係は次回に譲り、 今回は、八郎さんのご紹介をしたいと思います。
おなじみ 学研 『 図説・幕末志士199 』 から 引用させて頂きたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・
伊庭 八郎 (いばはちろう)
1843(天保14) ~ 1869(明治2) 享年27歳
伊庭八郎秀頴(通称八郎)は、 心形刀流宗家の家に生まれた。当時、江戸四大道場のひとつに数えられるほどの 隆盛をみせた同流は、慶安時代の伊庭是水軒秀明を流祖とする。
是水軒以降、代々伊庭の姓を以て伝承が行われているが、これは代々の高弟を養子としているためであり、一子相伝とは事情が違う。
中興の祖といわれた八郎の父、八代目伊庭庭軍兵衛秀業も養子であった。 家伝の剣法を仕込まれたはずの八郎は、しかし幼少時は学問好きの脆弱な少年だったという。
学問にとどまらず、遊芸にも興味を持ち、吉原に通って小稲という遊女とねんごろにもなった。しかし、宮本武蔵の絵画を見て感じるところがあり、剣術修行に熱中する。やがて「伊庭の小天狗」といわれる名手になり「鬼鉄」と言われた山岡鉄舟と互角の稽古を行っている。
伊庭家は徳川御家人であったため、元治元年(一八六四)に奥詰として将軍警護の 任に当たって京に登る。後に遊撃隊となって、維新の動乱の中で幕軍として転戦するようになる。
箱根の戦いでは腰に銃弾が貫通し、左腕に重傷を負いながらも、右手で官軍七,八人を斬ったという。隻腕となりながらも 、あくまで幕軍の志を徹した八郎は、榎本武揚お共に箱館五稜郭へ赴く。
箱館では土方歳三らと共に奮戦するが、肩と腹部に銃弾を受けて負傷。加療中に毒薬として与えられていた モルヒネを飲んで自害したと伝えられる。
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私は、 この八郎さんの生涯をPCに打っているだけで 目がしらが熱くなってしまいます。 しかし、 沼津にはさらにもっと目がしらが熱くなる 八郎さんが幕臣として熱く生きた証がありました。 御存じの方も大勢いらっしゃると思いますが、 それは次回に譲りたいと思います。
<引用文献> ・ 学研 『 図説・幕末志士199 』
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