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京都守護職創設160年「幕末の京都と会津藩」

2023年06月20日 20:05 by tetsuo-kanome
2023年06月20日 20:05 by tetsuo-kanome

 東京電力福島第1原発事故で被災した福島県富岡町で昨年11月5日、会津藩が幕末期に担った京都守護職創設から160年の節目に合わせ「幕末の京都と会津藩」と題した講演会が開かれました。江戸から明治時代に移行する過渡期に創設された京都守護職に、原発事故後、めまぐるしく変化し続ける町の姿を重ね、町の将来を考えました。

 私は、宮内庁書陵部の白石烈氏の講演と知って、拝聴したかったですが、今年3月に「とみおかアーカイブ・ミュージアム」で「幕末の京都と会津藩」の講演録が販売されていることを知り、福島県の浜通り勤務の後輩に懇願して、買ってきてもらい、私の自宅に送ってもらい、白石烈氏の講演内容を読むことができました。

【「幕末の京都と会津藩」講演録】

 白石氏は、講演の中で、会津藩は京都守護職として新撰組を配下におき、京都の街の治安維持として薩摩藩や長州藩の浪士たちを取り締まった説が一般的に広まっておりますが、歴史上の事実は、そんなに単純ではなかったと語っております。会津藩は、京都守護職として、天皇の勅書の草案や将軍の嘆願書の文面作成を担っておりました。特に天皇の勅書の草案は、薩摩藩も担っており、勅書の内容をめぐって会津藩と薩摩藩は熾烈な対立を繰り返し深い対立に繋がっていったそうです。

 会津藩は政治下手なイメージですが、決してそうではありませんでした。朝廷と幕府の密接な関係をつくるために、余分な情報を事前に摘み取る「ろ過装置」の役割を果たしておりました。会津藩の政治活動を支えたのが『公用方』です。公用方は他藩士と接触して情報収集したり、歩調を合わせたり、そういう交渉役を務める藩士です。会津藩の公用方は、36人。他藩と比べて非常に多く、会津藩がいかに他藩士や朝廷との交渉に力を入れていたかがよくわかります。彼ら下級武士が日々政治的な交渉をして、藩主松平容保公を支えておりました。

 幕末京都で会津藩が政治活動を展開する中、他藩から応援する勢力がありました。『天下公論』として久留米藩周旋方の久徳与十郎は重要人物であり、彼ほど会津藩を一生懸命助けた藩士はおりませんでした。松平容保公も非常に頼りにしておりました。久徳与十郎は、一会桑勢力や新選組とも接点ありました。

 白石氏は、宮内庁に保管されている幕末の皇族の資料を研究されており、これまでも孝明天皇から松平容保に賜った御宸翰は、明治天皇に奉天されていた事実を発見されたり、明治政府が反対する中、孝明天皇と松平容保の深い信頼関係を理解して、明治天皇から会津松平家に多額の賠償金を払った事実を発見されておりました。これからも、会津藩の汚名を晴らせるような新事実を発見されることを期待して、白石氏の動向を注目していきたいと思っております。

【記者 鹿目 哲生】

 

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