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村上殿の日々徒然、「私設美術館」

2023年06月26日 17:18 by murakamidono
2023年06月26日 17:18 by murakamidono

 これは、私の生家のある岩沢の「隠居屋」の私設美術館で、「本庄繁長公顕彰館」です。村上の「おしろやま」に繁長の城がありました。繁長は上杉謙信の家臣で、繁長の家臣が飯沼よそ座衛門?です。その末裔の飯沼洋二が、これを開いているわけです。 「べんせい しゅくしゅく よる かわを わたる」という頼山陽の詩吟がありますが、あれは、繁長軍団が、夜、去ったわけです。その後、繁長は謙信と対立し、「おしろやま」は謙信軍に囲まれました。対立の原因はよく分からないが、二つあります。一つは、武田信玄に、だまされたということ。もう一つは、村上市あたりは、その昔、小泉荘と言いましたが、ここを謙信に、取られると思ったからと思います。「おしろやま」には石垣がありますが、あの石は、村上藩主「堀丹後の守」のとき、海府の柏尾(かしお)から運びました。丹後の守は、元朝日村の「堀野」で鷹狩をしました。堀野には貝沼が多いですが、「堀」「堀野」「貝沼」がつながってくるのです。 隠居屋には展示物が多いですが、私の言う私設美術館と、大体似ています。「なぜ隠居屋と言うか」ですが、「あるわけ」があるのです。当主は飯沼洋二ですが、洋二の母系をたどると、菅原惣右衛門になります。私の祖母は、ここから来ました。私は工作が好きなのは、惣右衛門の遺伝子です。

 

 

 

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