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ザ・戊辰研マガジン

2023年秋季号 第3号

追悼 ~あさくらゆう氏へ~

2023年10月03日 13:40 by 匿名
2023年10月03日 13:40 by 匿名

令和5年9月16日(土)

この日、京都壬生にある八木邸では京都壬生浪士の初代筆頭局長である芹沢鴨の法要が営まれていた。

私自身は京都には伺えず、仕事で都内にいたところ不意に突然の知らせが。

「あさくらゆう氏が逝去された」と…。

 

昨今、ご体調がすぐれず、入院をしていらしたのは知っていたものの…。

まだ年齢もお若く、お会いした時には病を微塵も感じさせないエネルギーと歴史探求への情熱溢れるお姿からは

きっと元気になったお姿でお会いできるであろうという思いがあり、正直驚いた。

翌日の17日(日)に荼毘葬が行われ、最後のお別れとお礼を伝えに、お顔を拝見しに参列させて頂いた。

 

まだまだ世に出されていない新事実もあっただろう。

一番悔しいのはご本人であろう事は言うまでもないが、それにしても悔やまれる。

 

戊辰戦争研究会は、あさくらゆう氏には大変お世話になり、故星亮一先生ともご親交深い方でした。

当会員の方々も各員、様々な胸中を抱えておられます。

併せて会員の皆様から寄せられた、あさくらゆう氏への追悼文もご紹介させて頂きます。

※順不同です。

 

≪あさくら先生≫

あさくら先生には、歴史の調査の仕方を教わりました。

私から見た先生は証拠と、現場をなにより大切にする方で、先生の調査にご同行させていただいたとき、

この方を調べるのになぜここ?というところから始まったのを今でも思い出します。

そして、ここまでするかというくらいの調査をするのです。

しかし、そこからしっかりと足跡をつかんでいくその姿勢に驚いて

感動したことを今でも思い出します。

今でも先生から教わったことは私の歴史調査における指針となっております。

先生は「死んだ方も生きてる方も探すのは同じようなものよ」とおっしゃっていました。

そして、調査対象の方、歴史上の人物の方ですが、その方に対して

嘘偽りなく、真実のみを世の中に伝わるようにと真摯に調査する姿には

歴史に対するリスペクトを感じました。

その一方で先生はかわいいものがお好きで、

先生から送られてくるお菓子はいつも上品でお花、特に桜のあしらわれたスイーツなどでした。

この頃はコロナなどもあり先生とは直接話すこともなかなかなくなりました。

こうして書いているだけでも涙がとまらなくなりますが、先生の教えてくださったことを胸に

これからも精進したいと思います。

あさくら先生、本当にお疲れ様でした

どうか天国で安らかにお眠りください。

匿名

 

≪追悼 あさくらゆうさん≫

 あさくらさんに初めてお会いしたのは、東京で斎藤一関連の史跡をご案内いただいた時でした。

私の方は東京の土地勘が乏しく、ひたすら、あさくらさんのご案内に付いていき、感心することしきりの至福の時間でした。

 その後、壬生寺での山南忌や、本光寺での伊東甲子太郎の法要でのご講演をお聞きしました。

「山南は、資料が本当に見つからなくて。」と嘆いておられて、あさくらさんがそうおっしゃるなら、実際、無いのだろうなぁと納得した次第です。

 まだまだやり残したことが多々おありだったと推察します。さぞや、無念だったことでしょう。

ただ、あさくらさんは幕末史に多くの新しい知見を加えられ、我々に幕末史の新たな展開と面白さを示されました。

私も、あさくらさんの著作に、大いに楽しませていただきました。

謹んでお悔み申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。

桜 宝寿

 

≪あさくらゆう氏へ≫

あさくらゆうさんの早すぎるご逝去に驚くとともに、謹んでお悔やみ申し上げます。

初めてお会いしたのは、東日本大震災前の戊辰戦争研究会の上野幕末散策でした。

彰義隊の敗走路をたどり上野戦争で死亡した彰義隊士を葬った南千住「円通寺」をご案内いただいたのが、

あさくらゆうさんでした。

寺内の「黒門」「大鳥圭介追弔碑」「子爵榎本追弔碑」などを丁寧に説明いただいて、

感銘を受けて「三幸翁之碑」から自分のハンドルネーム「三河屋幸三郎」としたことも機縁を感じます。   

三河屋幸三郎

 
 
≪あさくらゆう先生、追悼の思い≫

日本の近代史の明治維新、ここでは敢えて『戊辰の役』と呼ばせていただきます。

薩長による私利私欲のクーデター、それが明治維新。

その私利私欲の薩長に対して、お役所的なお役人ばかりで無く、滅私奉公的な人物が出て来ているのも旧幕府。

及び、生き延びる為だけでは無い、志を残した奥羽列藩同盟。

勝てば官軍、負ければ賊軍。

 
この「勝てば官軍」のまま、薩長の横暴を黙って受け入れて、机上だけで済ましている御用学者の輩が歴史を染めている時、現場百遍の研究家が一矢もニ矢も報いてくださいました。
 

その方が、あさくら先生です。

旧幕府軍並びに奥羽列藩同盟の有志の方々の、復権に全力で関わるお方。

幕末の戦場跡や途絶える寸前の旧幕府軍として戦った有志のお墓を発見されたりと、その功績は枚挙に頭が無いところです。

 
砲術研究も、ゲベール銃やスナイドル銃など多数を所持され、射撃の腕も確かだったと伺っております。
 

現場百遍と実行主義によって多くの資料を残して、その関わった人々の想いとと共に、旅立たれたあさくら先生。

いい人は早死にするとの言い伝え、これを正解にしたく無かった、まだまだこれからも色々なお話しが聴けると思っていた、お話しが出来るとおもっていた。

『一期一会』もっと時間を大事にと、改めて学ばせていただきました。

 
これからも歪んだ歴史を捏造する輩は、『あさくら明神』として、思いっきり祟って天罰をお与えください。
 
あなたの意思を少しでも引き継ぎ、本当の歴史を素人ながら模索して参ります。どうか、安らかにお眠りくださいませ。
 
合掌
 
 
蟻通勘吾

 

≪あさくらゆう先生≫
 
 この度は、あさくらゆう先生の突然の訃報に驚いております。ご逝去を悼み、心よりお悔やみを申し上げます。
 
 私はあさくらゆう先生にお会いした事はありませんでしたが、仲良くして下さる方々からよくお話を聞いていました。

コロナ禍が長引き、中止されていた歴史関係のイベントも徐々に開催されはじめて、あさくらゆう先生にもお会いできるのでは?と楽しみにしていた矢先でございました。

何よりも、余りにもお若く旅立たれましたこと、ご家族様のお悲しみはいかばかりかと存じます。

 
 大勢の幕末ファンに愛されていたあさくらゆう先生と直接お話しすることは叶いませんでしたが、ご研究により解明された幾つかのことを、私も学んでいきたいと思います。
 
匿名(大阪府)
 
 

≪あさくらゆう先生と私≫ 

私が先生と初めてお会いしたのも最後にお会いしたのも、京都 本光寺様での「油小路の変殉難者慰霊法要」でした。

今年はもう先生のお話を聴くことが出来ないなんて信じられないです。

体調不良で、検査や入退院治療の後、緩和ケアホスピス探しをされている様子を見守るしかない毎日でした。

9/7に施設に入られたので、落ち着かれた頃と思い、面会伺いのメールを打っている最中にご逝去の一報がフォロワーの方から届き…只々茫然とするのみでした。

私よりも先生の方がお辛いのに「お互い難病に苦労しますね。どうか光明が見えるようになりますように」とお言葉を掛けてくださる優しい方でした。

もっともっと歴史談議もしたかったです。数々の歴史新発見…本当にありがとうございました。

関西支部 会員 沖田総司

 

≪あさくらさんへ≫

3月29日に「2週間入院ですのでよろしく。」とメールが来て、

8月12日に、「いままでありがとうございました!! もう、駄目です。」というメッセージが、、

あまりに早過ぎるあさくらさんの旅立ちでした。


二十年近くのお付き合い、ありがとうございました。戊辰研の「歩くシリーズ」でも、大変お世話になりました。

「新島八重を歩く」では編集長もして頂きました。戊辰研の新年会や集会にも良く来て頂けました。楽しい思い出が一杯です。

この五、六年は、あさくらさんが個人的に出しておられる小冊子に私も書かせて頂いていて、、、十一冊目が発刊の予定でした。

 

3月31日 、お大事になさってくださいませ。「岡山の国学」、仕上がっております。

3月31日、作業は帰宅翌日から始めようと思います。すでにプラットフォームと一部の原稿の筆耕は開始しておりました。あさくらゆう

3月31日、了解致しました。お早目のご快復を祈念しております!!


いつまでも、私の心の中で、あさくらゆうさんは生き続けてくれます。

好きなペット  ねこ。見てるだけで癒されます。とmixiに書かれていましたね。

青山墓地で、共に愛でた茶トラちゃんの画像を捧げます。

高橋美智子

 

 

令和5年9月15日 永眠

生前の、あさくらゆう氏の数多の御功績を偲び、ここに心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌

 

戊辰戦争研究会 会員一同

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