2023年07月09日 前編
関西支部企画として、新選組結成160年をテーマに、通常非公開の建物.仏像.庭園などの文化財が期間限定で特別公開されました。今回は、輪違屋が5年ぶり、旧前川邸東の蔵、真徳寺が初公開とあり選別の結果、輪違屋➡昼➡東の蔵➡新徳寺➡池田屋はなの舞にて懇親会となりました。
丹波口で集合とありましたが、会長でありながらこの永倉寝坊して到着のため写真におりませんwいやー、不覚‥
気を取り直しまして‥輪違屋さんにて集合。
【輪違屋】
新選組ゆかりの島原に現存する唯一の置屋。島原の正式名称は、「西新屋敷」。寛永18年(1641)に六条三筋町から現在地への移転の際の騒動が「島原の乱」のようであったことから「島原」と呼ばれるようになった。以来、公許の花街として発展したが、遊宴のみならず和歌や俳諧などの文芸も盛んで、江戸時代中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈したといいます。現在は、角屋、輪違屋、大門のみが往来の面影を留めています。
元禄年間(1688-1704)の創業以来300年以上も営業を続けるここ輪違屋は、揚屋の角屋に対して、太夫や芸妓を抱える置屋であります。現在の建物は安政4年(1857)に再建された京都市指定文化財となっております。
さて、建物内部を案内していきましょう。
入口をくぐり一階部分は、【主の間】主に主座敷であります。近藤勇の書を屏風に仕立てた「近藤勇墨跡屏風」や襖に貼られた太夫の書いた恋文の下書き(くずし字なのでなんと書かれてるか不明)庭にある灯籠の下部には、マリア像が彫られていました。
2階にあがると、二部屋見れます。それは、【傘の間】と言われる襖の模様は銀箔の無地に道中傘を紙に貼り込んだものがあります。当主の姓である高橋の「髙」の文字が見られます。写真撮影は禁止なので、パンフから加工してあります。
反対側には、【紅葉の間】という壁に本物の紅葉を塗り込んで乾燥後に取り出し顔料などで着色している斬新な意匠のお座敷となっていました。2階の2部屋は、保存のためなのかもともとなのかものすごく薄暗いところでした。また、屋敷に対してちょっと似つかわしくないミラーボールのような銀玉が階段上にありました。これはお客同士が鉢合わせしないようにするための工夫なんだとか。写真が取れない場所なので説明がむずかしい‥。
ちなみに余談ではありますが、今回の特別公開で輪違屋さんは一般公開は終了とのことです。また、ゆうゆう京都さんの企画の前例で、2階で芸妓さんとお座敷遊び(3−5万程)ってのがあるみたいですよ。
お昼まで時間があるため場所を移動します。
江戸時代の島原開設当初から残る歌舞音曲を楽しむ「揚屋」。江戸期の文化サロンで、幕末には勤王の志士や新選組も通っていた【角屋】の外観を眺めながら【島原大門】に向かいます。
角屋さんは、別件で散策しましたのであとにします。
【島原大門】は、本瓦ぶき切妻の高麗門であり門内の通りの左右には古い格子造の50軒の置屋と20軒の揚屋が整然と並んでいたようです(妄想)
京都花街である島原の東入口にあたる大門。日本初の幕府公認の遊女街は、江戸の吉原、大坂の新町と3大遊郭と呼ばれております。置屋は、太夫や芸妓を育てて住まわせ派遣させ、揚屋は、宴会場といったところです。
説明はこの辺にして、お昼にします。
今回は団体とあり京都の個人経営のお店はほぼほぼ日曜が、お休みであったためスーパー銭湯の【誠の湯】にある花車さんに向かいました。お手頃価格から本格和食が食べれます。
私は、西京漬けの鮭御膳を堪能致しました。
後半へ続く
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